リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 バッハ カンタータ第147番(1961.7録音)ほかを聴いて思ふ

僕は日々、世界の平和を真面目に心から祈っている(実際に行動としても)。
そしてまた、争いや偽りのない世界は、一人一人の心の平穏がもたらすものなのだと本気で考えている。僕の行動の源泉は、すべてそこにあるのだ。

いずれにせよ、カンタータには、バッハのすべてがある。カンタータを通じてバッハの嘆きや祈りに触れ、その世界観や人間観の深みをともにする体験するすばらしさは、他のどのジャンルにも求められぬものであると、私は思っている。
~POCA-2041ライナーノーツ

磯山雅さんのこの言葉は実に的を射る。
人間は陰陽を一つのよりどころにし、悲しみや苦しみをある意味正当化してきたが、本来世界には「喜びや希望」しか存在しないことを知るべきだろう。すべては一人一人の勝手な思惑に過ぎないということを。そして、もしかすると「祈り」というものすら純粋なものでなく、何かにすがるためのものとして捉えている人も多いかもしれない。

リヒターは全曲録音の完成をみずからのライフ・ワークと考えていたが、早すぎる健康の衰えと心臓マヒによる急死がその完成を妨げてしまったのは、惜しみてもあまりあることである。しかしともあれ、われわれには76曲の、痛切にして悲劇的な、あるいは逆に輝かしく生命力に満ちた、すばらしい演奏の記録が残された。
~同上ライナーノーツ

幾度聴いても飽きの来ない、そして、どの瞬間も生き生きと、明朗なリヒターの演奏は、カンタータの最右翼。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・カンタータ第30番「喜べ、贖われし群よ」BWV30(1974.5&1975.1録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
・カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまは」BWV147(1961.7録音)
ウルズラ・ブッケル(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(アルト)
ヨーン・ファン・ケステレン(テノール)
キート・エンゲン(バス)
アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団

宗教という概念をあえて横において耳を傾けるとわかる。
リヒターのバッハの峻厳さは相変わらずだが、厳しさの内側に秘められた慈しみが、これほどまでに純粋に音化されたことがあるのかと思ってしまうほど。第147番第2曲テノール(ヨーン・ファン・ケステレン)のレチタティーヴォの妙なる美しさ。

マリアおのが身に憶えあることより始め、
救い主の奇しき御業の
主の婢女なるおのれに施されたるを語り告げぬ。

(訳:杉山好)

続く第3曲アルト(ヘルタ・テッパー)のアリアの深み。そして、第5曲ソプラノ(ウルズラ・ブッケル)のアリアの天上の歌。

幸いなるかな、われはイエスを得たり。
おお われはイエスをいかに固く抱きしむるか、
そはかれ、わが心を慰め活かしたもうゆえに、
わが病みて悲しみおるときしも。

(訳:杉山好)

第6曲コラール合唱は何と高貴で優雅、そして浄化の美しさを持つのだろう。
祈りの実践こそが重要だ。

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