
1924年、ロンドンはコヴェントガーデンでの良き思い出をブルーノ・ワルターは次のように回顧する。
元帥夫人とゾフィーを演じた歌手は、それまで私の知らなかった人であったが、あらゆる方面からきわめて高い称讃の言葉を聞かされていたので、ふたりとの契約に喜んで同意した。それがロッテ・レーマンとエリーザベト・シューマンであった。私を信頼しきった慎ましやかな態度で劇場の事務室に現われ、ここロンドンでその世界的な経歴の敷居に立った、このふたりの若い歌手の姿が、いまも目に浮かぶ。エリーザベト・シューマンは歌も演技も理想的なゾフィー役であったし、ロッテ・レーマンの扮した元帥夫人からは、当時すでに、同時代のオペラ舞台の最も意義ある業績のひとつが光を放っていた。このとき私は、芸術家と文学上の人物が一致するというあのまれな現象に出会った。そのような現象によって、つかのまの演劇的体験がいつまでも消えぬ印象になるのである。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P349
「ばらの騎士」でのワルターの貴重な経験。それこそ実際の舞台に触れ得た人は幸せだっただろうと思うが、せめてワルターが「ばらの騎士」の録音を残しておいてくれたらと思うのは僕だけだろうか。きっと素晴らしいレコードが生まれたのではないかと想像する。
『ワルキューレ』もまた、嬉しい思い出である。ジークリンデに扮したのはロッテ・レーマン、ブリュンヒルデはフリーダ・ライダー、フリッカはケルスティーン・トールボルク、ジークムントはデビューしたばかりの若いラウリツ・メルヒオル、ヴォータンはフリードリヒ・ショルという配役であった。しかし或る特定の上演だけに触れるのは、ほとんど不公平であると思われる。なぜなら、往々にして出来ばえに欠陥や弱点があるために、オペラ劇場という錯綜した多頭の怪物は、半分はみずからの罪で、半分は罪もないのに非難されがちなものだが、それにもかかわらず私たちはかなり均等な水準を保ったからである—そして、出来ばえや出演者の価値をきめるのは、個々の上演における《あまりにも人間的な》上り下りではなく、全体の水準なのである。
~同上書P349-350
ブルーノ・ワルターの天才を物語るエピソードだ。
ここにワルターが1930年代に残した「ワルキューレ」の有名な録音がある。ナチスの台頭により、結果的に完成されることのなかった曰く付きのレコードは、当時の水準をはるかに上回る生々しい演奏で、今もなおレコード史に燦然と輝く代物だ。
まさに先のコヴェントガーデンで舞台を共にした歌手陣の何人かが揃った逸品。
ついに1934年になって「指環」全曲を録音しようという大計画がドイツのエレクトローラを中心として企てられた。このような全曲録音は今日よりもはるかに長年を要するため、芸術家を長期間獲得することが大変困難である。今日と違って交通も不便であったから、そうたやすく彼らが一カ所に集合することもむずかしかった。それにもかかわらず、この「指環」全曲の録音のためには当時理想的といわれる配役が企画され、フリーダ・ライダー、ロッテ・レーマン、ラウリツ・メルヒオール、フリートリッヒ・ショル、エマヌエル・リストなどの名歌手が参加することになっていた。1935年6月ウィーンにはちょうどレーマン、メルヒオール、リストが居たので、「ワルキューレ」の第1幕からはじめることになった。第1幕はこの3人しか出て来ないから問題なく録音ができたのである。さらにこの3人が出て来る第2幕の一部もひきつづき録音することになった。
(渡辺護)
~TOCE-7761-74ライナーノーツ
EMIが社運を賭けて計画した大仕事も、直後の欧州の政治情勢の変化によってあえなく履行できない状況に陥っていくのである。ナチスの圧迫あり、極めつけは1938年のナチスによるオーストリア併合。それによってワルター指揮ウィーン・フィルによる録音は永遠に葬り去られ、代りにベルリンで第2幕の欠落パートを録音することになった。
(よって演奏者や歌手はメルヒオールを除いて総取っかえになった)
継ぎ接ぎ「ワルキューレ」。
しかし、現代の明晰なレコーディング技術であるなら音の差異はより明確に見えるのだろうが、個人的には決してちぐはぐな印象はない(もちろんオーケストラの音そのものは明らかに違うのだが、ワーグナーの音楽が素晴らしい分、聴いているうちにそのことすら忘れてしまうのである)。
聴きどころはやっぱりレーマン、メルヒオール、リストという当代随一の歌手にワルター指揮(典雅な)ウィーン・フィルの激烈な演奏が組み合わされた第1幕全曲!
ロッテ・レーマンとラウリツ・メルヒオールのかけあいの尊さ、瑞々しさ、生々しさ、人間存在の美しさを体現するかのような二人の対話に心底感動する。
(初めて聴いたのは浪人時代だったが、当時はそこまで汲み取ることができなかった)
そして、ザイドラー=ヴィンクラーによる第2幕補完パートも意外に素敵。何より(フリードリヒ・ショルの代役となった)当時29歳だったハンス・ホッターのヴォータンが聴けることが貴重なのである。
当時の録音技術を考慮したのだろう、いずれも速めの、颯爽としたテンポで進められる。それがかえって1世紀近くを経た現代の感覚にも通じ、聴きやすいのだと思う。
第1幕前奏曲の苛烈な音楽に早々ぶちのめされる。
