神なる御身をたたえん!
ヴォルフガンゲルは幸運にも天然痘に打ち克ちました!
あの子は夜の10時に眼が痛いと訴えました。熱が高く、頬が真っ赤なのに、手は氷のように冷たくなっていました。一晩じゅう、うわ言を言っていました・・・。
(1767年11月10日付レオポルトからハーゲナウアー宛)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P45
「バスティアンとバスティアンヌ」はこの伝染病に罹る少し前に旅の途上のウィーンで完成されたものだ。子どもの頃からモーツァルトの生活は一筋縄ではいかなかったよう。
ありがたいことに! あの子はどんどんよくなりました。あの子はびっくりするほどはれ上がって、鼻までふくらんでしまいました。そして鏡を見て、「ぼく、まるでマイヤーさんそっくりだね」と、言いました。
~同上書P46
少年モーツァルトの、病気をものともしないユーモアのセンスがとてもかわいい。
12歳のモーツァルトが生み出した1幕もののジングシュピール「バスティエンとバスティエンヌ」K.50。かつて初めてその序曲を聴いたとき、僕はとても驚いた。主題がベートーヴェンの「エロイカ」第1楽章アレグロ・コン・ブリオの第1主題とそっくりだったから。
著作権のない当時の慣習から他人の創作を自由に引用するのはありだったからのことだと思うが、逆に言うとそれは、ベートーヴェンが「エロイカ」という傑作を創造するにあたりいかに上手く主題を見つけ、借用したかというセンスの表れでもある。(それはまさにモーツァルトとベートーヴェンの邂逅のようでもある)
物語の筋は、結果はハッピーエンドという、いわばバスティアンとバスティエンヌの恋愛ゲーム。また、音楽は、とても少年が書いたものとは思えない、早、晩年の「魔笛」を髣髴とさせるモーツァルトらしい愉悦に富む、高雅なもの。隅から隅まで心揺さぶられる傑作だ。
付録の、マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによる比較的珍しいオペラの序曲たちも快活で明朗、モーツァルトの心の襞の奥までもが見通せる透明感を獲得した演奏。
フォン・ポトシュターツキー伯爵が、天然痘にかかりそうな子供連れの私たちを、ご自身の意志で邸にお引き受けになり、ふた部屋を提供してくださったことが、どんなに特別なことか―いずれ私が著すことになる私どもの息子の伝記の中で、少なからぬ名誉ある位置をお占めになるでしょう。
(1767年11月10日付レオポルトからハーゲナウアー宛)
~同上書P46-48
神童ヴォルフガングの未来を父レオポルトは当然予見していたというわけだ。
それしても当時の貴族たちの懐の深さよ。
おじゃまします。YouTubeで、演奏家はちがいますが、この曲を聴きました。吉田秀和氏の「名曲の楽しみ」で流されたもののようです。岡本様がびっくりされたように、序曲が「英雄」1楽章のテーマとよく似ていますね。吉田秀和氏もそのことを指摘しておられましたが「偶然でしょう。」と片付けておられました。でも私もとても偶然とは思えません。ベートーヴェンはこれを聴いたことがあり、インスピレーションを得て、その動機を素晴らしいオーケストレーションで展開していって「英雄」的宇宙を構築したのでは、と思います。
最近気づいたことですが(事情通の人々の中では周知のことかもしれませんが)、モーツアルトのK.457のピアノソナタの2楽章の中に出てくるメロディー(2小節くらいですが)とそっくりなんです(曲の雰囲気は全く違います)。モーツアルトからベートーヴェンに渡されたバトンのようなものがあるのかもしれませんね。それにしても12才とは驚きですね。悪魔的な要素の曲もありますし。グールドが「モーツアルトはむしろ長く生き過ぎた」とか言って、初期の作品を評価していたことと通じるのでしょうか。
このCDの演奏に踏み込めませんでしたが、すごいことに気付かせていただき、ありがとうございました。
失礼します。先のコメントを読み返してみましたら、モーツアルトのソナタがベートーヴェンの何とそっくりか、抜けていました。ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの2楽章の冒頭主題とメロディーラインがそっくりだと思います。これはもしかしたら偶然かもしれませんが、最初に聞いた時はびっくりしました。モーツアルトがベートーヴェンへの橋渡しをした、という内容の音楽番組を見たあとだったので、ことさらハッとしました。
>桜成 裕子 様
確かにK.457の第2楽章と「悲愴」第2楽章には通じるものがありますね。吉田さんの「偶然」というのは僕も違うと思っております。明らかにベートーヴェンが主題を気に入って流用したとしか思えません。権利主張のない大らかな時代は、それはそれで良かったのだと思います。
[…] ら讃美歌、唱歌、軍歌を経て同様につながったという偶然。恐るべし。※過去記事(2019年8月22日) […]