
・ベートーヴェン:大フーガ変ロ長調作品133(1825-26)
ジュリアード弦楽四重奏団
アレタ・ズラ(ヴァイオリン)
ロナルド・コープス(ヴァイオリン)
モーリー・カー(ヴィオラ)
アストリッド・シュウィーン(チェロ)(2022.11.30Live)


ルドルフ大公に献呈された「大フーガ」の衝撃。あまりの前衛性に当時の僕はのけ反った。
残念ながら理解すらできなかった代物だが、今になって(ミサ・ソレムニス同様)ベートーヴェンの傑作のひとつであることを確信する。
ジュリアードの最新のメンバーたちによる演奏は、実に尖鋭的でありながら柔和で繊細な側面を併せ持ち、聴覚を失ったベートーヴェンの内なる声を見事に体現しており、あまりに激しく、あまりに美しい(聴衆の熱狂!)。
一方、オリジナルの弦楽四重奏盤はもちろん、管弦楽版も素晴らしい出来。
しかし、ベートーヴェン自身の手によるピアノ連弾版をもって初めて僕はこの作品の真価を知ったといっても言い過ぎではない。
(2005年になってついに自筆手稿譜が発見されたこの版の素晴らしさ!)
最後の例は弦楽四重奏曲大フーガOp.133のピアノ4手編曲Op.134である。全体的に見ると、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の真価が世の中に広く認識されるようになる1820年代には、そのピアノ4手編曲に強い関心が認められる。というのは、ピアノ愛好者が増えていく時勢のなかで、弦楽四重奏曲が弦楽器奏者たちの専有物ではなく、ピアニストたちもそれに与りたいという欲求が高まっていくからである。ほとんどの以前作がこの時期にピアノ4手編曲版として、もちろん他者編曲によって、出版されるようになる。そして晩年の作品も、その半分については直ちに同種版が続いた。そのなかで唯一の本人編作がOp.134である。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P222
当時の環境がその編曲を可能にしたわけだ。
あの複雑な音楽が、ピアノ編曲版によって一層見通しが良くなり、わかりやすく変貌するのだから興味深い。
この成立については経緯を会話帖から推し測ることができる。1826年4月11日頃、大フーガの出版社となるマティアス・アルタリアがベートーヴェンにスコア譜・パート譜、そして自身による4手編曲を出版する許可を求めている。彼はこの課題をアントン・ハルムに委ねようとし、4月16日に訪問したハルムとこの仕事の詳細についてぎろんした。ハルムは早くも1週間後に制作品を送り、高評を求めている。アルタリアは、会計簿によれば、5月12日にハルムに報酬を支払ったが、ベートーヴェンはこの編曲に不満足であった。別の人間にやり直させることも議論されるが、結局8月から9月にかけて本人が取り組んだ。
~同上書P222-223
こうなると、元の他者による編曲版を聴いてみたいところだが、術はない。
・ベートーヴェン:大フーガ変ロ長調作品134(4手ピアノ編曲版)
クリスティーナ・ヨルゴワ(ピアノ)
カロリナ・パンチェルナイト(ピアノ)(2020Live)
王立スコットランド音楽院ピアノ・フェスティヴァル2020での一コマ。
1. 序奏部(3つの旋律の呈示)(00:00-01:00)
2. 第1のフーガとその変奏と展開(01:00-)
3. 第2のフーガ(-05:44)
4. 第3のフーガとその展開(05:45-09:07)
5. 第2のフーガの再現と次のパートへの間奏(09:07-)
6. 第3のフーガの再現(-15:58)
7. コーダ(15:59-17:02)
極めて複雑でありながら、バッハのフーガとは性格を異にする、ベートーヴェンならではの論理的展開に舌を巻く。主題となる3つの旋律がこれほどまでに緊密に結びつく例は最晩年のベートーヴェンならでは。まさに「目で内なる音楽を聴いた」楽聖の真実をここに見出すことができる(一たび理解できればこれほど至高と思わせる音楽はない。「ミサ・ソレムニス」と同じく)。2人のピアニストの呼吸は見事に一致し、単一楽章の「ソナタ」は美しくも崇高な世界を現出させる。
