ピアニストの熊本マリさんは一度だけグレン・グールドに会ったことがあるという。コンサート・ドロップアウト以後、公衆の前にはほとんど姿を見せなかったグールドに出逢ったというのはほとんど奇跡的だ(彼女はこれまでの人生の中で自分が夢として掲げたことはすべて実現してきたという)。そういった様々な経験が自らを信じる原動力になっているようだが、その大切さを教えてくれたのがグレン・グールドだったらしい。
ある年のクリスマス、カナダのトロントに住む友人から自宅に招かれた彼女は、グールドに逢いたい一心で彼のアパートをアポイントもなく訪れたという。その少し前に「演奏を聴いてもらいたい」旨を手紙に託したものの、(当然だが)返事がなく、結局直談判しようと向かったということだ(すごい!!)。結果的に彼女はエレベーターでグレン・グールドに逢った。しかし、その時は「今は時間がないからゆっくり話せない。あとからアシスタントが君に電話をするから電話番号を教えてください」と言われ潔く引き下がった。
「本当に電話をくれるのか?」あまり期待せずにいたところ、その夜アシスタントから電話が入り、グールドからのメッセージが伝えられたという。
「誰かの演奏を判断する資格は、自分にはありません。仮に私があなたに対して、才能の有無を評価したところで、それがいったいどんな意味をもつでしょう。あなたの将来はあなたがつくるものなのです。自分の才能というものは、あなた自身が一番よく知るべきことなのです。自分自身を信じ、自分の才能を自ら伸ばしてください」
答えを出そうともがいて人はユニークさを失っていく。正解は人によって各々違うものだ。人間とはそういうもの。こういうコメントを出せるグレン・グールドはただの変人ではない。やはり、人一倍センシティブでありながら、真実を客観的に見ることのできる天才だったのだろう。
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)
グールドの最高傑作は誰が何と言おうと「ゴルトベルク変奏曲」である。デビュー盤である1955年盤、死の前年に再録した1981年盤、いずれも必聴の名演奏。まさにこの中にバッハの、いや人間という存在の真実が隠されている。これを聴かずしてゴルトベルクは語れないが、また違った別の角度から真実を語った不滅の演奏がニコラーエワ盤。グールドが変人タイプの演奏(笑)とするなら、ニコラーエワはあくまで正統派スタイル。きちっと反復をし、全曲演奏に70分以上をかける「これぞバッハ!」という演奏を繰り広げ、全曲があっという間に過ぎ去っていく。ほとんど時間の概念を感じさせない超越感が特長だと思うのだが、それは言い過ぎだろうか・・・?
午後、思い立って緊急入院されているYさんのお見舞いに横浜まで出掛けた。1時間近くお話をしたが元気そうで何より。すべては浄化の一環のように思われるので何はともあれ良かったと思う。人生より一層順調に進むと思いますよ・・・。
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