ニコラーエワのザルツブルク・ライブ1987

ドビュッシーやエルガーや、ベルクやマイルス・デイヴィスと聴いてきて、やっぱりどうしてもショスタコーヴィチは避けては通れないと思った。どうにも僕にはドビュッシーが起こした革命の流れとは別の次元でショスタコーヴィチという音楽家が「事に携わっていた」としか思えない。突然変異的なのだ。あくまで根拠なく感覚的にだけれど・・・。

久しぶりにニコラーエワを聴いた。彼女のバッハ、特に「ゴルトベルク変奏曲」は昔からの愛聴盤で、今でもこの作品を聴きたいときに取り出す最右翼の音盤だけれど、いつかも書いたように、確か来日して上野で「ゴルトベルク」を披露することが決まっていたその直前に彼女が急逝したことで結局一度も生の舞台に触れることができなかったという苦い思い出が僕にはある(しかし、ググってみてもそれらしき情報がひとつも引っかからないので記憶違いかも)。
彼女のライブ演奏を記録した音盤はいくつもリリースされており、そのどれもがそういう僕の渇きを癒す「素晴らしさ」に満ちているが、中でも1987年のザルツブルク・ライブは出色。ニコラーエワが得意とするバッハとショスタコーヴィチを前半に置き、後半はベートーヴェンの作品111で締めるというピアノ音楽の歴史を一気通貫することで、真髄を聴衆に知らしめるというもの。

J.S.バッハ:
・3声のリチェルカーレ~「音楽の捧げもの」BWV1079
・フランス組曲第4番変ホ長調BWV815
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ作品87から
・第14番変ホ短調
・第7番イ長調
・第2番イ短調
・第15番変ニ長調
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
アンコール~
・ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79~アンダンテ
タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)(1987.8.18Live)

バッハの「静けさ」をこうも器用に表現できるのは、年齢を重ねた音楽家の為せる業。リチェルカーレなどは最初の一音から引き込まれ、涙すら呼ぶ。フランス組曲はじっくりと思いを込めて音と音とが紡がれ、高貴で感傷的で・・・可憐な香気。調性というシステムを完成させたバッハの極めて緻密に考えられた「外形」と内側から匂い立つ「前衛」の見事なバランス!!そして、そのニュアンスはそのまま得意とするショスタコーヴィチに引き継がれる。
ショスタコーヴィチの最高傑作と言っても言い過ぎでないこの曲集をこの2月にメルニコフで聴いて、神を失ったソビエト連邦の誇る大作曲家の内には明らかに神が宿っており、口には決して出さないまでもショスタコーヴィチには「信仰」というものが間違いなくあっただろうことを僕は感じた。それが、ニコラーエワで聴くと、そこには限りない「悲哀」と「愉悦」という人間らしい感情も加わる。嗚呼、ショスタコーヴィチも実演で聴きたかった・・・。
そして、何といってもベートーヴェンの最後のソナタ!!特に、アリエッタの透明感は半端でない。技術的には決して万全とはいえないが、老巨匠(この時点で63歳だからまだ壮年かな・・・笑)の祈念がオーディオ装置を介しても伝わってくる。祝祭小劇場でこの場に居合わせた聴衆はさぞかし幸福だったろう。
アンコールは楽聖の作品79のアンダンテ楽章。自ら曲目を紹介するニコラーエワの声も収録されているが、この声がまた素敵(笑)。すべてが・・・、美しい・・・。


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