チェリビダッケ指揮デンマーク国立放送響 ラヴェル ボレロM.81(1971収録)ほか

1928年、ルビンシテイン夫人の依頼により、私はオーケストラのための《ボレロ》を作曲した。それはごく中庸で、旋律によっても和声やリズムによってもつねに一様な一楽章の舞踊曲で、リズムは絶えず小太鼓によって打ち出される。多様性の唯一の要素は、管弦楽のクレッシェンドによってもたらされる。
「自伝的スケッチ」(1028)
モーリス・ラヴェル/笠羽映子編訳「ラヴェル著述選集」(法政大学出版局)P200

ロラン=マニュエルの口述筆記による原稿。
この依頼のあったとき、ラヴェルはちょうど「ボレロ」作曲中だったという。
「ボレロ」のの内に秘められたエキゾチックなエネルギーとパワーに心動く。
(最初に痺れたのは、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」だった)
(かつて僕はドンの「ボレロ」を上野で2回観た)

ジョルジュ・ドン 二十世紀バレエ団 ラヴェル ボレロ(1982)
ジョルジュ・ドン 日本最後の「ボレロ」(1990.4.26Live)を観て思ふ ジョルジュ・ドン 日本最後の「ボレロ」(1990.4.26Live)を観て思ふ

今日、セルジュ・チェリビダッケの3種の「ボレロ」を観た。
時間が変遷する中で、巨匠の解釈が進化、あるいは退化(?)する様子に、「ボレロ」の巨大さと、演奏すること、指揮することの難しさを思った。
共通するのは、音楽の精密さ。
(完璧無比のチェリビダッケの指揮の下で演奏するオーケストラの個々の奏者の緊張感がビシビシ伝わってくる)

・ラヴェル:ボレロ(1928)
セルジュ・チェリビダッケ指揮デンマーク国立放送交響楽団

最初、音楽を生み出すときの表情や仕草が、誰かに似ていると思った。
「なるほど、ジミーペイジだ!」と気がついた。
私見では、1971年のデンマーク国立放送交響楽団とのものがベスト。
音楽のキレと味わいと、そして「真面な」テンポでの、推進力と熱気はさすがといえる。
(終始指揮者が映し出されるので各奏者の様子は今一つ不明だが、その分、チェリビダッケの表情や動きが観察でき、それが音楽と見事に一体となっていることに感銘を受ける)

そして、1983年6月の、ミュンヘン・フィルとの全盛期の録音。
こちらは、チェリビダッケの遅いテンポにきちんと余裕で対応できる奏者の力量に舌を巻く。何より冒頭の、小太鼓によるボレロの刻みが(おそらくミキシングのせいだろうか)よくとらえられていることが一層巨匠の解釈を明晰にしており、以後、僕たちが徐々にクレッシェンドする音楽の魔法に金縛りになるのを補完する。(画質は極めて悪いが)

さらには最晩年の「ボレロ」。
聴衆の拍手喝采が最も大きいのはたぶんこのときだ。もはや神格化されたチェリビダッケの実演を聴ける、数限られた機会を確実にとらえることのできた喜びがそこに反映される。
あまりに遅いと思ったテンポも、不思議なことに、音楽の進行とともに気にならなくなる。
(これぞチェリビダッケの魔法!)

オーケストラの力量を図るのに「ボレロ」ほど相応しい作品はないだろう。
そして、音楽の造形含めたその美しさを体現するのに、指揮者にとってこれほど難しい作品はないのでは?

クリュイタンス指揮パリ音楽院管 ラヴェル ボレロほか(1961録音)

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