エーリヒ・クライバー指揮ロンドン・フィル ベートーヴェン 「田園」(1948.2録音)ほかを聴いて思ふ

家族思いのエーリヒ・クライバー。
第二次大戦が始まったその日の家族に宛てた手紙には次のようにある(その時、彼は、アルゼンチンはブエノスアイレスにいた)。

9月1日金曜日
さあ戦争が始まった! そしてここで私たちは今夜《ジプシー男爵》を上演するのだ。「戦いの歌」(第3幕)はあまり笑えないだろう。今日きみの電報が届いたが、きみがドライバーを申し出たと書いてあった。頼む、お願いだからルース! 子どもたちのことを思って、慎重に運転するように! そして「どうしても」きみがしなければならないというわけでない時には、どうか辞退してほしい! きみがあの高い山の道を運転しているかと思うと、不安でたまらないのだ。

ジョン・ラッセル著/クラシックジャーナル編集部・北村みちよ・加藤晶訳「エーリヒ・クライバー 信念の指揮者 その生涯」(アルファベータ)P207

家族を思うことももちろんだが、エーリヒは慎重でまた心配性だったのである。そのことは、彼の息子に対する思いにも滲み出ている。

12月1日金曜日の手紙にはこうある。

そして夕方に電灯をつけると、ゴキブリが3匹、大変親しげにテーブルに飛んできて、私のパスポートの上にとまった。これで分かるだろう、私にはあらゆる近代的な快適さが揃っているのだ。息子の作曲した音楽を見たいと切に願っている―彼に「音楽的才能がある」とは、残念なことだ!
~同上書P219

通常なら公開されることのない個人的な書簡の類は実に興味深い。
クライバーの性質がどんなであろうと、彼の音楽の素晴らしさに一切の問題を与えなかったこと、いやむしろ、そういう性質こそが彼の創造力に大いなる影響を与えたことは確かだ。

戦争が終わると、その他にも偉大な人物たちが新たに連絡を取ってくるようになった。たとえば1946年3月、クライバーはそのころモンテビデオを訪れた尊敬する古老から手紙をもらった。

わが親愛なるクライバー、
あなたが送ってくれた、ヴェルディが大変きれいに写った素晴らしい写真を私がどんなに喜んだか、想像もつかないでしょう・・・。
私は幸せなのですが、その幸せを表す言葉が見つかりません。私のヴェルディへの傾倒、その人間性と芸術性への愛をあなたはご存じでしょう―だからこの愛すべき小さなものを、今後一瞬たりと離すことはないと、あなたにはよく分かるでしょう。これは私の「お守り」になります・・・。
                     アルトゥーロ・トスカニーニ
                 追伸・演奏会は美しかったです・・・。

~同上書P240-241

敬愛する人からの手放しの讃美の言葉は、それだけで十分すぎるほど十分だ。
そして、その翌年の最晩年のリヒャルト・シュトラウスからの手紙にもまたクライバーへの尊敬の念に溢れた言葉が並ぶのである。

1947年6月22日
あなたの素晴らしい手紙をとても嬉しく思いました! それは、いまは破壊されてしまったベルリンでの私たちの大切な日々を、あなたが指揮した美しい《オテロ》と模範的な《ばらの騎士》を、ベートーヴェンの交響曲をめぐる貴重な話し合いを(その時あなたは図書館で手稿を調べていましたね)、鮮やかに思い出させました。友人たちから、あなたが私の作品に情愛をこめて取り組み、大変成功していると聞きました。深い感謝の気持ちと共に思い出す、コロン劇場で。ご存知でしょうか、私がかつてそこで日曜日の午後4時に《サロメ》を、同じ日の夜9時に《エレクトラ》を指揮したことがあったのを。あの頃にはそんな離れ業もやってのけたのです。けれどもいま私は病気を患い、不幸で、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、ウィーンの廃墟の間に佇んでいるのです。

~同上書P241

戦後の荒廃の中で、美しい音楽こそが心の平穏を与えてくれるオアシスのような存在であることを誰もが思った時代にあって、エーリヒ・クライバーの音楽はそれこそ唯一無二の至宝だったのだろうと思われる。

・ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1948.2録音)
・モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550(1949.4録音)
エーリヒ・クライバー指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

「田園」交響曲第4楽章「雷雨、嵐」の凄まじさは、何ものをも凌駕する(後のコンセルトヘボウ盤以上の劇性)。対して、終楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」はコーダの安寧が美しい。

そして、速めのテンポで溌剌と奏されるモーツァルトのト短調交響曲第1楽章モルト・アレグロの光と翳の交替の妙。内なる哀感の表出は他の誰の演奏よりも強力だ。続く、第2楽章アンダンテは、思い入れたっぷりでデモーニッシュな様相を湛え、(深みのある)第3楽章メヌエットを経て終楽章アレグロ・アッサイのいわば「疾走する哀しみ」の顕現が何て魅力的なのだろう。

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