内田光子 ベートーヴェン ハンマークラヴィーア・ソナタほか(2007.4&5録音)を聴いて思ふ

ベートーヴェンはいわゆる《ハンマークラヴィーア・ソナタ》作品106を、困難な時期にあった1817/18年に作曲した。このソナタは、そのヴィジョンの壮大さ、力強さ、深さ、広大さの点で、ピアノ・ソナタの歴史における画期的な作品である。
(内田光子)
UCCP-1117ライナーノーツ

あらためて申すまでもない楽聖畢生の大作。このソナタが困窮の時期に書かれたものだということ自体が信じ難い。否、そういう追い詰められた時期だからこそ生まれ得た大傑作だという解釈も可能だが。

カール・チェルニーの回想には次のようにある。

いよいよもって1817年頃に難聴は強まり、もはや音楽も知覚できなくなり、その後は死ぬまでおよそ8年から10年、(その状態が)続きました。

1816年頃までは彼はまだ(器具の助けによって)自分で演奏するのを聴くことができたのですが、その後はこれもますます難しくなっていき、自分の内的な聴覚、想像や経験に頼らざるを得なくなりました。
大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P338

耳疾患により自身の演奏を披露することで稼げなくなったベートーヴェンに残された手段は、もはや作品を創造し、出版することによる稿料だけとなった。しかし、その音楽はますます深遠さを増し、哲学的・形而上的側面が強調されるようになる。すなわち、大衆、どころか専門家にすら容易に理解することができない境地に至るのだから困窮はますますひどくなる。何とも悪循環。たまったものではない。

このソナタがロンドンに向かないとしたら、別のを送ればいいのですが。あるいはラルゴを省いて、すぐにフーガで終楽章を始めてもよろしい。
あるいは、第1楽章の次にアダージョ、そして第3楽章にスケルツォとラルゴとアレグロ・リゾルートとしてもよろしい(あるいは、第1楽章に次いでアダージョ、そのあとに第3楽章のスケルツォ―そして第4楽章はラルゴとアレグロ・リゾルートを含めて全部削除してもよい、あるいは第1楽章とスケルツォにしてもよい。すなわち2つで全ソナタを構成するのです)。貴兄の一番良いと思われるようにお任せします(今は新しいソナタを作曲するには一番都合が悪い時なのです。他のことで全く手をふさがれているので)。このソナタは窮迫した状態のもとで書かれました。パンのためにだけに書くのは辛いことだからです。だが、ここまではやりました。ロンドンに行くことについては、別に手紙を書きましょう。

(1819年3月19日付、フェルディナント・リース宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P63

このときすでにベートーヴェンの頭の中は「ミサ・ソレムニス」でいっぱいだったようだ。アレンジを自由にしても良いという寛容さ(?)と、それら稀代の名作たちの作曲が食べるためだったということがどうにも信じられない。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
内田光子(ピアノ)(2007.4.28-5.2録音)

嫋やかで、あくまで女性的な、小難しさを排した内田光子の「ハンマークラヴィーア・ソナタ」。僕は特に、第3楽章アダージョ・ソステヌートから終楽章ラルゴ―アレグロ・リゾルートを推す。

ベートーヴェンが生み出した緩徐楽章の最高峰の一つ。それを内田光子が思念を吹っ飛ばし、感情移入すら横に置いたまま(?)、冷静に、そして心静かに神なる境地を表現していくのである。ここにはもはや演奏者のエゴはない。ひたすらベートーヴェンが創り出した音楽だけが響く。そして、最難関である終楽章の巨大なフーガが、心に染み入るように奏され、見事に見通し良く全体像がいとも容易く構築される様に驚嘆の思いを禁じ得ない。

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