カガン リヒテル バシュメット指揮モスクワ音楽院器楽アンサンブル ベルク 室内協奏曲(1977.12Live)

ぼくたち? ああ、ぼくたちもたぶんいっしょに滅びるだろう。ぼくたちも打ち殺されるかもしれない。ただぼくたちはそんなことではかたづけられないのだ。ぼくたちの遺物と、生き残ったものたちとのまわりに、未来の意志が集まるだろう。人類の意志が現われるだろう。われわれのヨーロッパはしばらくのあいだ、技術と科学の大市で人類の意志を圧倒してきたが。—そして人類の意志は、今日の共同体や国家や国民や団体や教会の意志とは断じて等しくないことがわかるだろう。自然が人間に対して欲していることは、個々の人間の中に、きみやぼくの中に書かれている。それはイエスの中に、ニーチェの中に書かれていた。これらの重要な潮流は—むろん毎日違った姿を呈するが、今日の共同体が崩壊すれば、時を得るだろう。
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「デミアン」(新潮文庫)P203-204

デミアンの言葉は真理にとても近い。
命と称する本性は生きとし生けるものすべて同じもので、そこにこそ真があるのだとわかったとき、世界はおのずと変わる。

アルバン・ベルクは数(すう)にこだわった。
例えば無理矢理のこじつけの場合もあるそうだが、彼はとにかく数(すう)こだわった。

20世紀という戦争の時代にあって西洋も東洋も、すべてがいったん崩壊を強いられた。
そして今、あらたな創造、再生に向けて世界は変転の最中にある。

室内協奏曲にまつわるエピソード。

1924年9月13日のシェーンベルク50歳の誕生日を祝って、ウニヴェルザール社は「夜明け」誌の特別号を企画した。ベルクはその巻末に『シェーンベルクの音楽はなぜ分かりにくいか?』という論文を寄せている。彼はシェーンベルクの『弦楽四重奏曲第1番』の冒頭10小節を詳しく分析し、その主題的、対位法的、リズム的、和声的な楽想の豊かさが、特別な難解さを生むのだとしている。
10月14日、マーラーの未完の遺作『交響曲第10番』から、第1楽章と第3楽章「煉獄」が、フランツ・シャルク指揮によりヴィーンで初演された。遺されたスケッチから演奏譜を作製したのは、一時マーラーの次女アンナと結婚していたエルンスト・クルシェネクだた。だが、この演奏譜にはかなりのミスがあり、アルマの依頼でベルクがそれを詳細に調べて訂正を求めたが、それが演奏に生かされることはなかった。
1923年初頭、ドイツからの戦争賠償金が滞ったのを口実に、フランスとベルギーがルール工業地帯を占領した。ドイツ側の打撃は甚大であり、深刻なインフレ解消のため、25年1月1日より通貨改革が施行された。1万クローネが1シリングへと変わったのである。その翌日の1月2日、ベルクの義父フランツ・ナホフスキーが亡くなった。彼の遺産は不動産と有価証券で3万6300シリングほどだったが、そのほとんどが妻アンナの手に残された。
1月末、フランツ・シュレーカーがベルクを、ベルリン音楽大学の音楽理論の教官に招く意向を示し、シェーンベルクも強くこれを後押しした。だがベルクは、創作活動が妨げられるのを恐れて辞退した。彼は生涯定職を持たず、ヴィーン以外に定住することもなかった。
ベルクは作曲中の『室内協奏曲』を、シェーンベルク50歳の誕生日までに仕上げるつもりだったが、それには間に合わなかった。25年2月9日、自分の40歳の誕生日に完成し、6月23日(運命数)にオーケストレーションを完成したとしているが、どちらの日付もこじつけと考えられている。

田代櫂著「アルバン・ベルク―地獄のアリア」(春秋社)P165-166

1世紀前、ヨーロッパが暗黒時代に突入する前夜の、やはり混沌とした時代にあって、大衆の未来への不安はかなり増長されたことだろうと想像する。そんな中にあって、ベルクの室内協奏曲の3つの楽章には「友情」「愛」「世界」の思念が込められていたそうだ。
少なくとも作曲家の内側にあったのは安心であり、また安寧であったのだろうと思う。

・ベルク:ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための室内協奏曲(1923-25)
オレグ・カガン(ヴァイオリン)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ユーリ・バシュメット指揮モスクワ音楽院器楽アンサンブル(1977.12.12-13Live)

リヒテルとカガン。
二人の共演によるベートーヴェンのソナタは素晴らしかった。
アルバン・ベルクとは意外だったが、これがまた実に良い。
(逆再生、クイックモーション、スローモーション、オーヴァーラップやコラージュなど、映画的ともいえる手法が駆使されているらしい)
第1楽章スケルツォの主題と変奏から果敢なインタープレイ(?)が聴かれる。シンプルな音から発展していく楽の音のすごさ。時間と空間の広がりを感じさせる変奏の妙。

しかし何より、カガンのソロが聴ける第2楽章アダージョが美しい。

そして、ついにすべてが一つになる第3楽章ロンド・リトミーコの複雑美。突然切ったように終わるのは、まるで人生のその瞬間を示すような潔さだ。終演後の聴衆の拍手は大人しいが、こんなものだろう。パリはアテネ・ルイ・ジュヴェ劇場でのライヴ。

アルバン・ベルクが素晴らしい。
こういう音楽は実演を聴かないとその真価は決してわかるまい。

「愛は願ってはなりません」と、彼女は言った。「要求してもなりません。愛は自分の中で確信に達する力を持たねばなりません。そうなれば、愛はもはや引っ張られず、引きつけます。シンクレール、あなたの愛は私に引っ張られています。それがいつか私を引きつけたら、私は行きます。私は贈り物をあげません。私は獲得されたいのです」
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「デミアン」(新潮文庫)P221-222

カガン リヒテル ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」ほか(1976.2&3録音) ブーレーズ指揮アンテルコンタンポランのベルク室内協奏曲(1977.6録音)ほかを聴いて思ふ ブーレーズ指揮アンテルコンタンポランのベルク室内協奏曲(1977.6録音)ほかを聴いて思ふ スターン、ゼルキン&アバドのベルク室内協奏曲(1985.10.18録音)ほかを聴いて思ふ スターン、ゼルキン&アバドのベルク室内協奏曲(1985.10.18録音)ほかを聴いて思ふ ベルクの懺悔の音楽なり ベルクの懺悔の音楽なり

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