ショスタコーヴィチの広角レンズ

shostakovich_5_bernstein.jpg雅之さんは異動で名古屋。ぷみ君は留学のため渡英。
今宵、いつもコメントをいただいているお三方(ともみさん、雅之さん、ぷみ君)と初めてのオフ会を開いた。このブログをひょんなことから見ていただき、そして「早わかりクラシック音楽講座」にいらしていただいて、前回第16回の講座で一堂顔を合わせ、クラシック音楽の話題で花が咲き、本日に至った。とても短い交流だった(過去形!)ものの、時空を超越し、何だか古き良き仲間に会った気分だった。こういう仲間は前世からつながってたんでしょうね。本当に不思議で面白いものです。

ショスタコーヴィチは天才である。天才とは360度どんな角度からでもモノを見ることができ、受容することのできる人をいうのだと僕は思う。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

この有名な楽曲のフィナーレは物議を醸すある意味問題作である。ショスタコーヴィチ自身がほとんどこの曲にまつわるコメントを残していないことが余計に後世の研究家を悩ませた。作曲の経緯、演奏方法、すべてが「自由」なのである。
好き嫌いから判断すれば、僕は圧倒的にムラヴィンスキー派である。フィナーレのテンポはムラヴィンでなければならない。バーンスタインの快速テンポ糞食らえ、だと思っていた。ところが、作曲者自身はその両方を受け容れている。どちらもありだと言わんばかりに・・・。冷静に耳を澄ませば、バーンスタイン盤も説得力がある。なるほどと思わせる瞬間が多々あるのだ。

結局、人間が創り出すもの、そして人間そのものには「答え」がないのである。どんな風に解釈をしてもその全てが「正しい」のだ。
やっぱりショスタコーヴィチは「神」を信じていたと思う。
360度どの角度からもものを見ることのできるショスタコは真の天才だ。

※今日は楽しかった。雅之さん、ともみさん、ぷみ君ありがとうございました。またいつかやりましょう!

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