横浜市の小学校で女性教諭が連帯責任として児童全員を平手打ちしたことが「不祥事」として問題になった記事を見た。一部の児童が指示に従わず勝手な行動をとったための措置としてやったということだ。
果たして、これが本当に「問題」なのか?
僕の子どもの頃は教師のいわゆる「体罰」は当然のこととして受け止めていたし、ましてや親に報告したり、問題として扱われることがなかったゆえ、隔世の感がある。子どもにモラルや規律を教えることが悪いことなのか?時には体罰というものも根底に「愛」があるなら必要な場合もある。人は「痛み」を知り、愛の鞭を受け育っていくものなのに。
日本の学校教育はおかしくなっている。
57年ぶりの衆議院での法案再決議により「補給支援特別措置法」が成立した。福田首相は「わが国が『テロとの闘い』に再び参加できることは誠に意義深い」という談話を発表。続いて米国からも「高く評価する」と歓迎する声明が届く。背後にアメリカ合衆国の影が明らかにあることがわかる。日本人はアイデンティティを本当に失ってしまったのか?野党が叫ぶように「民意」に反していること甚だしい。学校教育に限ったことではない。政治もおかしくなっている。
このままだと、真に勇気ある行動を誰もとれなくなるのではないか?他人と違った行動をとると、その表面上の成り行きだけをみてすぐ問題視される。「上」の目、周囲の目を気にするあまり、自分自身が正しいと信じる行動がとれない。ひょっとすると「何が正しいのか」すら既にわからなくなっているのかもしれないと危惧される。
モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
ハンス=マルティン・シュナイト指揮レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊
ポール・エスウッド、ケヴィン・スミス
ハンブルク古楽合奏団ほか
ルネサンス期最後の巨匠であるクラウディオ・モンテヴェルディの筆舌に尽くしがたき最高傑作。1610年の発表だから、かれこれ400年前の作曲だ。カトリック教会における晩課、つまり夜の聖務日課の際に演奏されるべく作られたものである。こんなに多彩で巨大な音楽にはなかなか出逢えない。
「愛」に溢れた音楽。
「正しいこと」とは、すなわち「愛のあること」。「愛」があるなら、時には厳しい措置も許されよう。多分上記の教師は「正しい」のかもしれない。そして、野党の反発も同様に「正しい」のだろう。
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