ハチャトゥリアン指揮ウィーン・フィル 交響曲第2番ほか(1962.3録音)を聴いて思ふ

こういうのを社会主義リアリズム的音響というのだろうか。
抑圧からの解放、というより、抑圧的開放感。いかにも開かれているようで確実に閉じられている心の表現。熱狂的な音と美しい旋律が至るところに刻印される作品なのだが、何だかとても息苦しい。いわばエネルギッシュな虚構。

それにつづく話のなかから、審査委員長で、あらゆる時代の国家に通暁しているスターリンが、わたしとハチャトゥリャーンの合作の国家を最優秀作と考えていることが明らかとなった。しかし、スターリンの意見によると、そこには何箇所か手を入れ、リフレーンを変える必要があった。そのためにはどれほどの時間がかかるか、とスターリンはたずねた。5時間もあれば、とわたしは答えた。実際には、そのくらいのことなら5分もあれば完全に処理できたであろうが、しかし、この場で、すぐさま必要な訂正をできるなどと言うのが、なにかはしたないように思えたのだった。この返事にスターリンが激昂したときのわたしの驚きはどのようなものだっただろう。彼は、なにかまったく別の返事を聞かされるのを期待していたようだった。
ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P455

エピソードの真偽は今となっては定かでないが、この現実のやりとりこそが、かつてのソヴィエト連邦で活躍した芸術家たちを苦しめ、数多の虚構を生み出す源になったのだと思う。

こういったすべての事情は、スターリンが作曲の仕事をまったく理解していなかったことを改めて証明している。もしも彼が、作曲の仕事は何からはじまるかをほんのわずかでも知っていたなら、わたしの言った期限に驚きはしなかっただろう。しかし、ほかのすべての分野と同様、音楽に関してもスターリンがずぶの素人であったのはわかりきっている。オーケストレーションの話をはじめたのは、明らかに、大言壮語を披露したかっただけのことで、人の目をくらましたいと目論んだのだが、それはまったく成功しなかった。
わたしとハチャトゥリャーンは完全に敗北した。あとで、ハチャトゥリャーンがわたしの軽卒を責め、質問に答えるのなら、せめて1ヵ月はかかるとでも言うべきであって、そう言えば、勝利はわたしたちのものになったはずだ、と語っていた。あるいは、ハチャトゥリャーンの言うとおりだったかもしれないが、よくはわからない。いずれにせよ、スターリンは脅迫してきた。

~同上書P456

ショスタコーヴィチにはない機転がハチャトゥリアンにはある。
その分、時代の変遷とともに彼の音楽は虚構臭さが鼻につくようになるのかもしれない。しかしながら、作品そのものの構成、出来は素晴らしく、例えば、終楽章アンダンテ・モッソ―アレグロ・ソステヌート,マエストーソ終結部の、興奮を誘うクライマックスに思わず感動する。
アラム・ハチャトゥリアン自作自演交響曲第2番。

ハチャトゥリアン:
・交響曲第2番ホ短調(1943)
・バレエ音楽「ガイーヌ」組曲(1942)
―剣の舞
―アイシャの目覚めと踊り
―レズギンカ
―ガイーヌのアダージョ
―ゴパック
アラム・ハチャトゥリアン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1962.3録音)

第1楽章アンダンテ・マエストーソ冒頭の重戦車のような轟音の発散から凄演。ハチャトゥリアンは創造によって感性を解放するのだ。第2楽章アレグロ・リソルートの歌謡的な旋律が身に沁みる。そして、第3楽章アンダンテ・ソステヌートの、畳み掛けるように囁く音楽に葬送のような哀感を覚えるも、最後は勝利の雄叫びをあげる。なんと官能的な方法よ。それによって人民は見事に魂を鼓舞されるのだ。

「社会主義が成功すれば成功するほど、階級闘争はそれだけ激しくなる」「鉄橋建設には数千人が必要だが、その破壊には数人いれば足りるのだ」—。大粛清の入り口でありピークともなった37年2月の党中央委総会で、独裁者は“粛清の論理”をこうぶち上げた。
産経新聞・斎藤勉「スターリン秘録」(産経新聞社)P321

まるで作り話に思えるが、わずか80年ほど前に実際にあったことなのである。
ソヴィエト社会主義音楽はその時代を確実に包含する。残された作品群はいずれも重要な資料だ。

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