ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 ブルックナー第5番(1986.12.4Live)を聴いて思ふ

鬱積した官能的な勢力の霊化は、ブルックナーや多くの神秘家たちに共通して見られる人間の禁欲に起因している(ヤーコプ・ベーメだけが結婚していた)。聖徒物語のような生活こそ、このような芸術の湧き出る真の源泉である。それは、ただ神聖のみを希求するけれども、心の奥底では愛の欲求にもだえている修道士の生活である。ブルックナーは、何度も向こう見ずな全く世慣れていない求愛で愛の欲求を晴らした。そういう生活からのみ、宇宙が擬人的に形成されることができたのであり、運命の力の極めて人間的な作用を形象することができたのである。
ロベルト・ハース/井形ちづる訳「ブルックナーと神秘説」
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P187

類い稀なる傑作たちの源泉が、鬱積した官能にあるというハースの分析は実に明快だ。そして、ブルックナーの作品が宇宙の擬人化だという言葉に僕は膝を打つ。

1986年12月4日木曜日のアムステルダムはコンセルトヘボウ。
この日は、84歳のオイゲン・ヨッフムの、最後から2番目のコンサート。
アントン・ブルックナーの巨大な音の大伽藍である交響曲第5番が荘厳に鳴り響いたという。クリストフ・フスの公演評によると、すべてが祈りと、瞑想、そして慈悲に溢れた、筆舌に尽くし難いものだったそうだ。

残された音源を耳にしても、この日の演奏がどれほど崇高で静謐なものであったかがわかる。決して大袈裟ではなく、一世一代の、後にも先にも存在し得ない奇蹟の音楽。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1986.12.4Live)

堂々たる第1楽章アダージョ—アレグロに溢れる神性。続く、第2楽章アダージョの恍惚。しかし、そこにはもはや官能は存在せず、枯れた、透明な、宇宙の大鳴動だ。これぞ超絶名演奏!
何も足さず、何も引かない。第3楽章スケルツォは、自然体の、ブルックナーの呼吸だけが響く。特にトリオの優美。白眉は間違いなく終楽章アダージョ—アレグロ・モデラート。

それに対して第5交響曲はその頂点を終楽章に、さらに言うなら、終楽章のおわりのコラールにもっている。
オイゲン・ヨッフム/渡辺裕訳「第5交響曲の解釈について」
~同上書P228

最晩年の演奏は、呼吸が深く、テンポも遅く、それがまた絶妙な味と光輝を引き出している。何より弦楽器の麗しさ、また金管楽器の神秘的な咆哮。まるで生き物のような有機性。
特に、コーダは心底絶品!泣く子も黙る大らかさ!終結の和音の、慌てず騒がず、文字通り余裕ある壮大さ!聴衆の歓喜の拍手喝采がもう少し残されていれば言うことないのだが。

ちなみに、ヨッフムは、ブルックナーの第5番を生涯で93回指揮したという(レコーディングは4回)。

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