ただ「今」の音楽

lili_boulanger_BBC.jpgかつて船井幸雄氏が自著で繰り返し述べていた「百匹目の猿」現象。ある行動を起こす猿が百匹に達すると行為そのものの波動が伝播してまったく関係のない離れた別の地で猿たちが同じような行動をし始めるという。生物そのものが「波動」であるゆえ、当然といえば当然。「意識」は見えない波に乗って時空を超え伝わってゆく。

「思考は現実化する」というがその通りだと思う。もちろん具体的な行動を起こさねば何も変化はないのだが、頭に描いた夢(想い)というものはたとえ少しずつであろうと形になるもの。「ネガティブな発想をすること」は良くないといわれるが、それが「今」の自分の状態なら仕方がない。一晩寝て翌朝はまた「ポジティブな発想をしている」かもしれない。そういうものである。

どこかで聴いたことのある音楽である。誰かの作風にとても似ているのだ。
世界には自分と瓜二つの人間が3人は存在するという。音楽の旋律然り、構造然り。
「祈り」の音楽であるにもかかわらず、重みと「不吉感」をもつ音楽。「祈り」というもの自体が「プラス」でも「マイナス」でもない。ただ「今」の状態を受容すること。そういう想いを喚起してくれる「受容」の音楽。

リリ・ブーランジェ:詩篇第24番、ピエ・イエズ、詩篇第130番
ジャネット・プライス(ソプラノ)
ベルナデット・グリーヴィ(コントラルト)
イアン・パートリッジ(テノール)
ジョン=キャロル・ケース(バリトン)
ナディア・ブーランジェ指揮BBC交響楽団&合唱団

若干24歳で夭折した天才女流作曲家リリ・ブーランジェ。幼い頃から病弱で、自らの将来を悲観したこともあったであろうリリ。にもかかわらず、晩年の数年間に全精力をかけて生み出したいくつかの音楽。そのどれもが「激しい哀しみ」と「人間の大らかさ」を伴った「愛」の音楽なのである。23歳時の作品「詩篇第24番」、17歳~24歳にわたって書いた「詩篇第130番」、そして辞世の句である「ピエ・イエズ」、そのどれもが肉体を超えたところで鳴り響く。

リリの音楽を聴くと、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」という詩を自ずと連想する(そういえば遺された肖像写真の雰囲気はそっくりだ。この詩に出てくる弟も24歳で亡くなっている)。

ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや 思えるや
十月も添わでわかれたる
少女ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

※リリ・ブーランジェはいつもコメントをいただいている雅之さんにその音楽の素晴らしさを教えていただいた。この音盤も先日来お借りしているもの。雅之さんが名古屋に戻られることが決定したので、早急にお返しせねばならないと、一生懸命に聴いている。
ともかく、遺された作品は多くはないが、その一つ一つが人類の至宝。
同盤にカップリングされているフォーレのレクイエムも秀逸。リリの実姉であるナディア(彼女は20世紀フランスを代表する音楽教師。教え子にピエール・アンリ(!)、アーロン・コープランド、キース・ジャレット(!)、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、ディヌ・リパッティなどなど有名な音楽家がズラリ・・・)の指揮は妹の魂が乗り映るかの如くの鬼気迫る素晴らしい演奏。

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