マゼール指揮ウィーン国立歌劇場のヴェルディ「ファルスタッフ」(1983.2.2Live)を聴いて思ふ

verdi_falstaff_maazel662当時僕はまるで注視していなかったのだけれど、1980年代のロリン・マゼールの、ウィーン・フィルと演奏した、中でも実演はかなり充実した、そして観客に相当の感動を与えたものだったであろうことを今更にして思う。結局僕は、この人の実演に触れる機会がなかった。そのことがかえすがえすも無念。
あの頃の、「レコード芸術」をひもとくと、村田武雄さんの「望ましい結合」と題する月評巻頭言にマゼールのことを採り上げて、次のようにある。

マゼールは、ヴァイオリンをよくする指揮者である。かなり達者な腕前をもってはいるが、それは技巧の面からであって、柔らかな、ヴァイオリンの歌とは、また、別問題である。あまりにも、神経質に、細部のせんさくに入念すぎるので、曲が小さくなって、のびのびとした、大きな広がりが、弱められている。
これまでのマゼールの演奏と音楽とは、ある意味で、コンピューターのように、正確で、無駄のない設計によって構成されたものといってよかった。
しかし、それが正式に、ウィーン・フィルを指揮するようになってから、その緊張と興奮と二、かなりの変化のみられるのに、驚くとともに、喜びを感じたのである。
~「レコード芸術」1983年6月号P69

わずか2年で辞任に追い込まれたとは思えぬ熱狂。しかし一方で、辞任に追い込まれてもおかしくないほどの超個性。互いに主張のある指揮者と歌劇場とには確執があったことがいわれるが、少なくとも当時の演奏を聴く限り、そんなことは微塵も感じられない。
丁々発止、舞台上においては指揮者とオーケストラの意志のバランスは完璧にとれていたはず。というのも、どちらかというと独裁的な指揮ぶりをみせたマゼールが、ウィーン・フィルにはそれでも一目を置いており、謙虚にその多くをオーケストラの主体性に任せた結果がこの美しい名演奏の輩出につながったのではないのかと僕には思えるのである(勝手な推測だけれど)。

音質は良くない。しかし、マゼールがウィーン国立歌劇場で棒を振った「ファルスタッフ」の実況録音盤を聴いて、ここには、熱気のある、かつ個性的でありながらオーケストラがうまく寄りそった調和の現出がある。僕はそのことにとても心を動かされた。
特に、第3幕の素晴らしさ。

・ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」
ヴァルター・ベリー(ファルスタッフ、バリトン)
ジョルジョ・ザンカナーロ(フォード、バリトン)
フランシスコ・アライサ(フェントン、テノール)
ピラール・ローレンガー(アリーチェ、ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(クイックリー夫人、メゾソプラノ)
パトリシア・ワイズ(ナンネッタ、ソプラノ)
ハインツ・ツェドニク(医師カイウス、テノール)、ほか
ロリン・マゼール指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団(1983.2.2Live)

第2場、祝福の儀式における音楽の愉悦!
また、「さあ合唱でこの芝居を終わらせよう」というヴァルター・ベリー扮するファルスタッフの掛け声にはじまる大団円のフーガも一糸乱れぬ見事なアンサンブル。

世界のすべては冗談さ、
人はふざけるために生まれる。
頭の中じゃ揺らいでいるのさ、
いつでもその理性というやつは。
みんな愚か者!あざけり合うのさ、
お互いを、人間というやつは。
だけど一番たくさん笑うのは
最後に笑った者なのさ。
サイト「オペラ対訳プロジェクト」

このいい加減さ!!僕たちが住む世界はやっぱり幻なんだ。

 

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