アルトゥール・ピツァローのダ・モッタ「ピアノ協奏曲集」を聴いて思ふ

da_motta_concerto_pizarro226世界中どこにでも「音楽」はある。そもそもが祈りの表現であり、神聖なる伝達の術である音楽には、それぞれに地域に根差した土俗的・民俗的趣向があった。インターナショナル化した現代においては、オーケストラも創造音楽も没個性化し、似たり寄ったりのものに成り下がっているきらいがあるけれど、しかし各々の作品の根底に流れる「意味」を汲み取ることができたなら、世界は物理的にも精神的にも一気に広がるのだと思った。

フランツ・リストの最後の高弟であり、晩年のハンス・フォン・ビューローの薫陶を受けたというのだから19世紀後半の欧州クラシック音楽界の王道を走った天才の一人なんだと思う。その音楽の様子はいかにも師のヴィルトゥオジティを引き継ぐものだが、革新的な色合いの中に、どこか「保守」の匂いのある、実に前時代的浪漫主義の香りを醸す。そう、ポルトガル独自の「ファド」の雰囲気を継ぎながらリスト顔負けの挑戦的な音楽たち。

ジョセ・ヴィアンア・ダ・モッタの「ピアノ協奏曲集」を聴いた。
イ長調協奏曲の第2楽章ラルゴは主題と5つの変奏によって構成されるが、主題の見事さもさることながら、それぞれの変奏におけるどこかショパンのような濃厚な歌と、シューマンのような可憐な旋律に思わず感嘆。こんな作品があったとは、そしてこんな作曲家がいたとはつゆ知らなかった。

ジョセ・ヴィアンア・ダ・モッタ:
・ピアノ協奏曲イ長調(1887)
・ピアノ独奏のためのバラード作品16(1905)
・ピアノと管弦楽のための劇的幻想曲(1893)
アルトゥール・ピツァロー(ピアノ)
マーティン・ブラビンス指揮グルベンキアン管弦楽団(1999.7.12&13録音)

徐に奏し始められる「バラード」の暗鬱な表情に涙がこぼれる。
音符の一粒一粒を丁寧に構築してゆくピツァローのテクニックもさることながら、ダ・モッタの心を上手に反映するその技量に拍手。例えば、一呼吸おいての後半部のあまりの劇的な流れに高揚。最後の静けさに満ちた和音に感動。

そして、「劇的幻想曲」第1楽章アレグロ・モデラートの儚い美しさに心奪われ、第2楽章アンダンテの静かなパッションにため息がもれる。終楽章アニマート―マエストーソの解放は、作曲者のここぞとばかりのカタルシス。

エトヴィン・フィッシャーの、若い弟子たちを集めて催されたピアノ教室での挨拶を思った。

技術と機械化が完全な発達をとげた今日の時代にあっては、ただ単に純粋にピアノ技巧的な意味で上手に演奏されたピアノ曲などというものは、もはや何の意味をも持っているものではありません。ただ、あなたがたの人格が、そこに創造的に参加するところの、精神的に体験された芸術のみが、ひとの心に呼びかけ、影響をあたえ、そして人格をたかめるのです。あなたがたは何をおいても、第一に自己自身へと到達せねばならないのであります。
(若き音楽家への挨拶)
エトヴィン・フィッシャー著/佐野利勝訳「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)P8-9

ダ・モッタは、もっと聴かれるべき作曲家だと僕は思う。

 

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