朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第5番(2000.5.3Live)ほかを聴いて思ふ

この「5番」のシンフォニーというのは、どうも何かふっきれない。きろうと思ってきれるものなら、もう20年も30年も前にふっきれているはずなんですけれども。まあ昨日の(新日フィルとのチクルス)は、私は今までのとはスタイルを変えたというか、いろいろなことを考えすぎるのはやめようと思いましてね。「下司の浅知恵はやめようや」と言ったら、楽員もワーッと笑っていました。ああもしよう、こうもしようと、それはそういう研究をするのは良いことなんですけれども、ベートーヴェンという人はもともと緻密に音楽を書いているんだから、楽譜どおりそのまま演奏しても大丈夫なはずであって、なまじ小細工をしたって通じるような作曲家ではない。そういうものを目の前にして、われわれごときが力が及ばないとわかったら、とにかく自分はこうやろう、と。指揮者の方に迷いがなければ、楽員の方も迷いがとれてくるあけですからね。
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P92

ベートーヴェンの作品は人智を超える。我を排し、脱力するしか方法がないのだ。
1989年の時点で、そういう考えを持つに至った朝比奈でも、ベートーヴェンに関しては最後まで完成するに至らなかった。特に、交響曲第5番は手強いと見える。

1990年11月13日、昭和女子大学人見記念講堂でのベルリン国立歌劇場管弦楽団を振ってのベートーヴェンの交響曲第5番も、どこか緊張感に欠けた、腑抜けのような、感動の薄い演奏だったことを思い出す。時に超絶名演奏を披露するかと思えば、時にどうにもならない駄演を見せつけた朝比奈御大ならではの苦悩が、先の言葉には垣間見える。だからこそ彼は生涯ベートーヴェンの演奏に命を懸けたのであろう。

最後のツィクルスにおける交響曲第5番も、残念ながら決して名演奏とは言い難い。
2000年5月3日のアクロス福岡・シンフォニーホールでの演奏と、同年5月10日は大阪、ザ・シンフォニーホールでの演奏という2種を収めたエクストン盤。録音の加減もあるが、どちらかというと福岡での演奏の方が凝縮された緊張感を保つものだと僕は思う。しかし一方、大阪での演奏は、散漫で音にうねりがなく、(その上迷いがあるようで)いまひとつ。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(2000.5.3Live)
・リハーサル風景(2000.5.3録音)
・交響曲第5番ハ短調作品67(2000.5.10Live)
・リハーサル風景(2000.5.10録音)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

それでも御大ならではの堂々たる恰幅の造形は、決まったら見事だ。
中でも終楽章アレグロの、勝利の凱旋は、ベートーヴェンの革新(従来の2管編成にピッコロ、コントラファゴット、トロンボーン3が加えられている)を手放しで賞賛するように表現しており、どうにも感動させられる。そこには、老練の棒に対する無条件の尊敬もあろう。いずれの回も終演後の怒涛のような拍手喝采が素晴らしい。

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