フィルクシュニー ヤナーチェク「草陰の小径」ほか(1971.5録音)を聴いて思ふ

(1903年2月22日の)午後、私達はみなオルガの周りに座っていた。夫はちょうど「イェヌーファ」を書き終えたところだった。彼がこの作品に取り組んでいたあいだずっと、娘はこれに強く惹かれていた。オルガは夫にせがんだ。「お父さん、イェヌーファを弾いてちょうだい。もう聴くことはないんだもの。」レオシュはピアノに向かい、弾いた。私はいたたまれず、その場を逃れ去った。
日本ヤナーチェク友の会編「歌劇イェヌーファ 対訳と解説」(改訂新版)P123

ヤナーチェク夫人の後年の回想にはそうある。
愛娘のオルガの夭折はレオシュを痛く傷つけた。
歌劇「イェヌーファ」はオルガの思い出に捧げられている。
そして、もう一つ大切な、オルガに捧げられた作品が、ピアノ曲集「草陰の小径」。
哀切の想いが隅々に漂う、愛の曲集。音楽は、まるでアンビエント(環境)音楽のように、心に激しく刺さる。

第1巻
第1曲「われらの夕べ」
第2曲「散り行く木の葉」
第3曲「一緒においで」
第4曲「フリーデクの聖母マリア」
第5曲「彼女らは燕のようにしゃべり立てた」
第6曲「言葉もなく」
第7曲「おやすみ」
第8曲「こんなにひどく怯えて」
第9曲「涙ながらに」
第10曲「ふくろうは飛び去らなかった」

作曲者によって標題が付された第1巻の10曲は、どれもが飛び切りの美しさ。ヤナーチェク直系の弟子たるルドルフ・フィルクシュニーの演奏は、まるでレオシュの心底から湧き出す痛切なる悲哀の言葉のようだ。特に、後半、第7曲「おやすみ」から第10曲「ふくろうは飛び去らなかった」までの透明感と音楽の重み、それは、生と死の同化、つまり、自身と娘とを同期させたヤナーチェクの心理を見事に表現し得ている(ように思う)。

ヤナーチェク:ピアノ作品集
・主題と変奏(ズデンカ変奏曲)(1880)
・草陰の小径(1901-08/1911)
・思い出(1928)
ルドルフ・フィルクシュニー(ピアノ)(1971.5録音)

それに、死後出版されたタイトルを持たない第2巻2曲と補遺3曲は、音楽がより抽象的に深化する。例えば、補遺bヴィーヴォの複雑なダンス、cアレグロの高貴は、晩年のショパンの音楽(マズルカ!)を想像させる深遠なる哲学性。

彼の息子ウラジミールは「イェヌーファ」に着手する数年前に幼くして死んでいる。しかし娘オルガは作曲当時は生きており、ヤナーチェクが曲を完成しつつある頃に、21歳の誕生日を数ヶ月後に控えながら亡くなったのだった。オルガの死によってヤナーチェクは子供をすべて失い、妻との間の最後の絆は絶たれた。そして以後作曲は彼の人生にとって、より大きな意味を持つものとなった。
~同上書P115

想像を絶する哀しみを乗り越えて、そこにあるのは浄化された魂の崇高な祈りだけだ。
一切の思念や我執が捨て去られた後に残る無為自然。あまりに美しい。

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