バレンボイム指揮シカゴ響 ブラームス ドイツ・レクイエム(1992.9&1993.1録音)

人生の儚さと虚しさ。
そして、死によって与えられる永遠の喜び。
第2曲「何故ならすべての肉なるものは草に等しく」における、恐怖を喚起するティンパニの打撃と厳かな合唱の絶唱。特に、中間の「だが、主の言葉こそは変わりがないのだ、永遠に」以降の確信に溢れる音(通奏低音の如く鳴り渡る打楽器の鼓動に心動く)!!

母は、火曜の夜には音楽会から元気に帰ってきて、馬車から降りる時もフリッツと戯談を言っていたのです。馬車がまだ走り去らないうちに、舌が重いと訴え、姉は母の口が横にひんまがって、舌がふくれて前に垂れ下がったのを見て驚いたそうです。母が脳溢血の発作を起こしたことをはっきり知りながら、エリゼは母を慰め安静にさせようと努力しました。母は左半身が不随になったと訴えましたが、人々に助けられて家に落ちつくと、エリゼの慰めで母は大丈夫だと思い、風邪だから寝ていればなおると思っていたようです。母の言語は不明瞭で医者もすぐにエリゼに気遣わしい容態だと言いました。
寝床の中で母はかすかに姉を呼び、手を握ったりできましたが、やがてすやすやと眠りに落ちてしまいました。それから発汗し、臨終は次の夜の2時でした。フリッツが電報をよこしたので私は土曜日の早朝ハンブルクに着きました。弟は死んだとは知らせてきませんでしたが、私は母の死をすでに予知しておりました。昨日の午後1時に埋葬いたしましたが、死に顔は少しも変わらず、まるで生きているように愛らしゅうございました。

(1865年2月6日月曜日付、ブラームスよりクララへ)
ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P147

非常にリアルな描写に、ヨハネス・ブラームスの驚きと悔悟の念、そして、哀惜を思う。母の死をきっかけに、師ロベルト・シューマンの死以来温めていた鎮魂曲の作曲に、より拍車がかかる。完成はその後数年を経、1868年(第5曲以外は1866年に完成)。ブラームス渾身の、畢生の大作「ドイツ・レクイエム」。

・ブラームス:ドイツ・レクイエム作品45
ジャネット・ウィリアムズ(ソプラノ)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団&合唱団(1992.9&1993.1録音)

マルティン・ルターがドイツ語に訳した旧新約「聖書」から歌詞がとられているが、ブラームス自らがその選択をしているという点がミソ。
それにしてもバレンボイム指揮シカゴ交響楽団による演奏の堂々たる、意味深い音、信仰篤き音に感動を覚えざるを得ない。第3曲「主よ、私を諭したまえ」におけるオーケストラのあまりに有機的な響きと、混然一体となる合唱の粋、何よりトーマス・ハンプソンによるバリトン独唱の生き生きとした歌。最後に完成となった第5曲「あなた達はいま悲しんでいる」における、ジャネット・ウィリアムズのソプラノ独唱の可憐さ。あるいは、合唱の寂寥感。

しかし私はあなた達に再び会うことになろう、
そうすればあなた達の心は喜ぶに違いないし、
あなた達の喜びを誰もあなた達から奪いはしないであろう。

(「ヨハネによる福音書」第16章22節)
(対訳:丸山桂介)

「ヨハネの福音書」からの一節がとりわけ心に迫る。
そして、第6曲「何故なら私達はこの地に永続する都を持たない故に」の慟哭から終曲「幸いなのは死者達」の安寧の変遷こそブラームスの音楽の魔法。あるいは、バレンボイムの解釈と指揮の奇蹟。

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