ヨーゼフ・エトヴェシュ J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲(ギター編曲版)(1997録音)

グレン・グールドの登場以来、世の人々に影響を及ぼし続けるバッハのゴルトベルク変奏曲。人びとの心に、そして魂にまでインスピレーションを与える音楽の力は驚異である。

―《ゴルトベルク変奏曲》のことが、わかった?
―「わかる」ということがわからなくなった。
―「わかる」って何?
―ただ聴きながしていたところにも変化を認識できるようにもなったのは事実。これまでとは「違った」聴き方になっているのはわかる。でも、それが「より深い理解」になっているかどうかは、疑問だな。
―最終的には、初めに抱かれていた問いは解決されていない、ということだ。
―「音楽」も、「わかる」も、「音楽をわかる」も・・・。
―「音楽はわかるものではない」「音楽は感じるもので語るものではない」という言い方は、やはり世のなかには生きている。でも、或る時代、いつかの時代、どこか、では、音楽をわかる「やり方」もあったし「文法」も「サンタックス」もあった。そして、いまも「ある」。こうしたことと、「わかるものではない/わからなくてもいい」というレヴェルの話は、ずっと平行線をたどるのかどうか。

小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』—世界・音楽・メディア」(みすず書房)P167-168

そもそも音楽という真理は記号化できるものではないのだろう。
記号にしなければ人間が理解できないから、あるいは後世に伝えられないから音符が生れ、楽譜が生み出されたに過ぎない。それならば、音楽はやっぱり「わかるものでなく、感じるもの」ということで良いのだろうと思う。

しかしながら、楽譜が残されたがゆえに多くの編曲版が生れたという事実。そして、だからこそ250年以上後の世にもその音楽がリアルに享受され得るという幸福。実に世界は矛盾に溢れている。

エーゼフ・エトヴェシュの編曲によるギター版「ゴルトベルク変奏曲」に潜む憂愁。

・ヨハン・セバスティアン・バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988(ギター編曲版)
ヨーゼフ・エトヴェシュ(ギター)(1997録音)

「ゴルトベルク変奏曲」の懐は深い。1741年に創作された、バッハの人生のすべてが詰まったといっても過言でない音楽は、どんな楽器であろうと、また、どんなアレンジであろうと、僕たちの魂を揺らす。

そもそも撥弦楽器と鍵盤楽器の根本的な相違によって起こるアーティキュレーションの問題をいとも容易く(?)解決するエトヴェシュの編曲と演奏技量には拍手喝采を贈りたい。
何より鍵盤楽器の演奏に比較して一切の遜色がないのだから驚きだ。
開かれたアリアの透明感、そして、まるで生を閉じるアリア・ダ・カーポは、ゴルトベルク変奏曲が輪廻の相似のようだ。それにしても各々の変奏はどれも極めて美しい。中でも、愁い満ちる短調の第25変奏の心地良さ。長調に転じる第26変奏以降のゆったりとした(鍵盤楽器では見られない)希望の音。ギターという楽器の可能性を十分に示す編曲の魔法に僕は拝跪する。

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