4分間のピアニスト

gluck_iphigenie_gardiner.jpg何だか余裕がある(笑)。昨日に引き続き新大久保のTSUTAYAでDVDを借り、観る。
「4分間のピアニスト」。タイトルに惹かれて借りたが、さすがドイツ映画。暗い・・・。刑務所で抜群の音楽的才能を秘める問題児の少女ジェニーにピアノを教え、コンクール出場までをフォローするピアノ教師クリューガー。二人のそれまでの人生の顛末を両軸に話が展開していくが、「4分間」とは最後のコンクールでの演奏シーンのこと。
シューマンのピアノ協奏曲がいつの間にかロック・ミュージックに変貌し、プリペアード・ピアノ奏法ならぬ極めて野獣的な演奏が聴衆を感動させる(いや、マジにかっこいい演奏です)。
鬱屈した人が潜在的に持つ強烈なパワーは、その振り子がプラスに振れた場合人の心を動かすだけのエネルギーを持つ。しかし、一方でその暴力性は人を攻撃し、自らをも傷つけてしまう。「芸術的天才」というのは「普通」の生活からは生まれ得ないということだろう(昨日の日記に雅之さんからコメントをいただいたが、そこに同じような見解が書かれている)。まさに紙一重。

先日R.シュトラウスの最後の楽劇「カプリッチョ」を聴いていて、グルックの「オーリードのイフィジェニー」の旋律の引用が耳につき、久しぶりに音盤を取り出した。
「カプリッチョ」は18世紀の「オペラにおいて言葉が先か、音楽が先か」の論争(まさにグルックがその当事者であり、彼は言葉と音楽の同等性を主張した)をテーマにした対話劇で、古今の作曲家の様々な音楽がパロディ的に挿入されており、とても魅力的である(シュトラウスのオペラの中でもそれほどメジャーで
ないのが惜しい)。

グルック:歌劇「オーリードのイフィジェニー」
ホセ・ヴァンダム(バリトン)
アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ)
ジョン=エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団&リヨン歌劇場管弦楽団ほか

グルックはかのマリー・アントワネットに仕えていた音楽家で、この王妃に従い1773年にパリに移り、彼の地で最初に発表した歌劇がこの「オーリードのイフィジェニー」である。ギリシャ神話-トロイア戦争時のギリシャが物語の舞台だ。
序曲はつとに有名で、ワーグナーの編曲版で演奏しているフルトヴェングラー盤クレンペラー盤は僕の若い頃からの愛聴盤である。20世紀前半を代表する両巨匠の演奏はグラウンディングがしっかりしたとても安定した音楽で、うねりに満ちており、感動的である。
特に、フルトヴェングラー盤の価値はモノラル録音ながら人後に落ちない普遍性を持つ。

フルトヴェングラーもクレンペラーもそういう意味では「普通」の人じゃなかったんだろう(もちろんワーグナーは変人である)・・・。

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