朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第9番「合唱」(2000.12.30Live)ほかを聴いて思ふ

やっぱりすごいものですね。今はマーラーだ何だと言いますけれども、強烈さではとてもこの曲にはかなわないでしょう。
結局ベートーヴェンは、このシンフォニーを実際に自分の耳で一度も聞いたことがないわけですね。全部頭の中で鳴っていただけ。それなのにこのような・・・。今でもそれを思うと感動します。彼自身は何も得られない。まあ作曲料ぐらいはもらったかもしれないけれども。作曲家にとって、できあがった音を実際に聞くのがいちばんの喜びなのに、自分が実際に聴けもしない音楽を作って、われわれに残して、200年、おそらく永久に世界中で演奏される。自分が死んで永遠の生命を人類に残した、そういう象徴的な感じがしますね。それが本当の作曲というもので、もうそういう時代は二度とこないかもしれない。
我々は目も見え、耳も聞こえるのに、まずい演奏しかできないというのはまことにどうもあれですけれども、しかしこの「第九」だけは私もずっとやりたいですな。90歳になっても、これだけはやりたいです。

(1989年6月16日、7月28日)
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P232-233

朝比奈隆は、ベートーヴェンの交響曲第9番を「ヒューマニズムの歴史の中の一つのモニュメント」だと評するが、1989年の対談で語った言葉通り、亡くなるちょうど1年前まで通算251回にのぼる「第九」の演奏を成し遂げている。これで最後だとは御大ももちろん思っていなかっただろう、2000年歳末の恒例の大阪フィルとの2夜にわたる演奏は実に感動的なのだが、驚くべきは、その2種の演奏がテンポほか、まったく様相が異なるのである。これぞ、何歳になっても常に変化する朝比奈隆の至芸。

12月29日のフェスティバルホールでの演奏は、最晩年の朝比奈の演奏らしく、全編通してテンポは速めで、印象は若々しい(例えば第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレだけで翌日の演奏に比して70秒も速い)。

ベートーヴェン:
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(2000.12.29Live)
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(2000.12.30Live)
・蛍の光(スコットランド民謡)(2000.12.30Live)
菅英三子(ソプラノ)
伊原直子(アルト)
福井敬(テノール)
多田羅迪夫(バリトン)
大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:岩城拓也)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

しかし、やはり朝比奈らしいのは12月30日の演奏、すなわち生涯最後の「第九」であろう。第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソは冒頭から確信に満ちた堂々たる音!混沌とした神秘の音が有形になる、いわば宇宙創成の様を、「神秘」を横に置いて、朝比奈はあっけらかんと表現する。これぞ老練の棒の成せる業。続く、叩きつけるように始まる熱狂の第2楽章スケルツォがまた絶妙なるテンポ!そして、決してもたれず、悠久の時間を表す第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレ。この日の聴衆は、たぶん永遠に終わってほしくなかっただろう、時間が止まったかのような錯覚に陥らせる安息の音楽。速めに颯爽と奏される第2主題の決然たる旋律が素晴らしい。
さらに、静寂を破る終楽章プレストの強烈な轟音と低弦によって「歓喜の主題」が提示されるその瞬間のカタルシスと、合唱が入ってからコーダに至るまでの文字通り「皆大歓喜」に感動(永遠のvor Gott)。

ことに若いうちは、シラーのテキストによって大きな感動をもちますね。シンフォニーをやるのに、歌詞にそこまで拘泥するのがいいかどうかは別として、これはシラーの詩の中でも煽動的な、革命前夜みたいな内容ですから。師匠が全部それを解釈して教えてくれたんですけれども、フロイデFreudeというのは、実はフライハイトFreiheit(自由)なんだ。その時分、ドイツのあの体制の中では「自由」という言葉を使えないから、代わりに「フロイデ(歓喜)」にしたんだと。
~同上書P192

バーンスタインがベルリンの壁崩壊を祝して演奏した「第九」はまさにFreiheit(自由)と歌われているが、その半年前にいみじくも朝比奈がそのことを語っている点が興味深い。しかし、(シラーの真意がどうあれ)今となっては「自由」よりも「歓喜」の方がやはり相応しいと僕は思う。

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6 COMMENTS

桜成 裕子

朝比奈隆氏の「自分が死んで永遠の生命を人類に残した、そういう象徴的な感じがしますね。それが本当の作曲というもので、もうそういう時代は二度とこないかもしれない。」とのお言葉にうれしくなりおじゃましています。「第九」は聴いてももちろん感動的ですが、実際に合唱団の中に入って楽譜を見、歌い、ハーモニーを感じたりオーケストラを聴いたりしていると、その構成の巧妙さ、和音の(不協和音も含めて)独特な響きの素晴らしさ、声部のハーモニー・独唱、合唱のからみの絶妙さ、歌詞と旋律の見事な融合等等、今さらのように、奇跡のようだと感じています。これらをすべて実音で聴くことなく頭の中でだけで組み立てたのだ、ということにも改めて胸を突かれます。
いろいろな指揮者の「第九」を聴いてみましたが、テンポを始めいろいろ感じが違うなあ、と思います。因みに私たちの指揮者は、「第九」を指揮したいという一心で指揮者になったそうです。朝比奈氏の最後の「第九」、このCDも聴いてみたいと思います。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

僕は朝比奈のこの「第九」を聴いて、第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソの素晴らしさをあらためて痛感しました。おっしゃるように、頭の中だけで音楽を書いたベートーヴェンは唯一無二の天才ですね。

ぜひこの「第九」を聴いていただきたいのと、以前も触れた新日本フィルとの1988年末のライヴ盤を比較して聴いてみていただきたいです。前者は朝比奈が行き着いた枯淡の境地、後者はまだまだ若い(と言っても80歳)脂の乗り切った、しかし崇高な世界が繰り広げられます。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 このCDを聴いてみました。朝比奈隆氏を聴くのは初めてです。感動しました。
29日の第2楽章と第3楽章、30日の第1楽章と4・5楽章がぐっときました。なぜかはわかりません。奇をてらうことなく、誇大にならず、誠実で丁寧な演奏、と感じました。親しく語り掛けてくるような感じもしました。楽器の音がそれぞれ明瞭に聞こえて新鮮でした。第2楽章のテンポはツボにはまっていて雄弁に聞こえました。第1楽章にベートーヴェンが込めた思いが伝わってきた気がします。さすが朝比奈氏の気概が感じられ、名前だけ知っていた日本の先駆者の演奏に触れられてうれしいです。少しだけ欲を言うなら、合唱の歌詞の子音がもっとはっきり聞こえていたら合唱も立体的になってよかったかな?と。やはり日本人だから発音はしかたないですかね。むずかしいです。1988年の演奏も取り寄せて聴いてみたいと思います。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

朝比奈御大の演奏は、おっしゃるようにどんなときも「奇をてらうことなく、誇大にならず、誠実で丁寧な演奏」だと思います。実演を聴いていただきたかったとつくづく思います。1988年新日本フィルとのベートーヴェンについても感想お待ちします!

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H.Hita

2000年12月30日大阪フェスティバルホールにてこの実演を聴きました。
舞台に登場する足もおぼつかない姿に「最後まで行けるか?」と心配しましたが、朝比奈師の気迫がそのまま音楽になった演奏でした。演奏会終了後、大フィル合唱団に属していた友人の誘いで合唱団の「打ち上げ」に参加させてもらいました。敬愛するアルトの伊原直子さんもいらっしゃいましたが、朝比奈師は姿を見せませんでした。合唱指揮の磐城さんに「大将は来年もやってくれるやろね?」と訊ねた処「うーむ、何とも言えんなー」との答えでしたので、1985年から欠かさなかったこの日の「フェス詣」もこれで終わりかと覚悟したのを覚えています。そして翌年同日のチケットも発売時に購入していましたが、体調不良により朝比奈師の代役で若杉弘が振る事になったので払い戻しを受け、その後12月29日に朝比奈師の訃報を知りました。そもそも当方が学卒後大阪の企業を選択したのは朝比奈師が居たからなので、翌年に後ろ髪を引かれる事無くタイへ赴任し以降18年間日本を留守にした次第です。
さて、朝比奈師の「第9」で特記しておきたいのは1995年(阪神大震災の年)12月30日の演奏です。
この夜の大フィルはまるで別オケのようでした。朝比奈師のアインザッツが隅々まで見事に決まり白熱しながらも瑞々しく、第3楽章は朝比奈師がバトンを置いて素手で指揮をする入れ込みに3千人の聴衆が張り詰めた緊張感で硬直しました。第4楽章では合唱団がもの凄い気合で熱唱しオケは負けじと猛追、終演後は館内が歓声で大騒ぎになりました。これは数ある朝比奈師の「第9」名演の中でも白眉と云えます。
是非とも多くの方に鑑賞頂きたく、この音源は元朝比奈会の方でも入手はできませんでしょうか?

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岡本 浩和

>H.Hita 様

当日の生々しい様子をありがとうございます。僕は翌年の東京での公演(ブラームス・ツィクルスの第4番やブルックナーなど)をすべて聴いておりますが、明らかに最後の東京公演(ブルックナー第8番)のときはあまりの風貌の変わりように心配になったことを記憶しております(反して演奏そのものは最高の出来でした)。

1995年の第九はそんなに凄かったですか!震災直後の東京でのシューベルト「未完成」&「ザ・グレート」は聴きましたが、あれも御大渾身の演奏でした。ぜひとも聴いてみたいですが、音源が・・・、ですね。さすがに朝比奈協会はすでに解散しておりますので入手は困難と思われます。いずれ大フィルからリリースされることを期待します。
貴重な情報をありがとうございます。

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