タカーチ弦楽四重奏団 バルトーク 弦楽四重奏曲第3番ほか(1996.8&9録音)

「にんべん」に「夢」と書いて「儚」。
そもそも人生とは、僕たちが生きるこの世界とは夢想のようなものだ。
現実の中にいても、僕たちはいつも酔っ払っているようなもの。
人の命がほんの一瞬の出来事で、だからこそたった一度きりの人生を謳歌しようと人は懸命になるけれど、肉体を超えた命、霊性という視点から言えば、そもそも永遠であることを忘れてはならない。

フランツ・カフカの「夢」。

それは「J」の字で、書き終わろうとしたとたん、芸術家は腹立たしそうに片足でおもいきり盛り土を踏みつけた。パッとまわりの土が舞い上がった。ようやくKは了解した。謝る余裕など、もうないのだった。両手の指で土を掻いた。なんてことはない、すべてがとっくに準備されていたのである。ほんのお体裁に盛り土がしてあっただけなのだ。下にはすっきりとした壁をもつ大きな穴があった。Kはゆるやかな流れにゆられて、仰向けのままその穴に沈みこんだ。首はまだ起こしていたが、穴にぐんぐん引きこまれていく間に、堂々とした飾り書体で墓石にKの名前が完成した。
うっとりと眺めていると目がさめた。

池内紀編訳「カフカ短編集」(岩波文庫)P170-171

僕たちの命は通常因果の環の中にある。凡人にはもはや避けられないのだ。
現実のような夢、夢のような現実よ。

夜更けにタカーチ弦楽四重奏団のバルトーク。
計算された、リアルな音像が僕の心を潔く包み込む。まるで夢を見ているようだ。

バルトーク:
・弦楽四重奏曲第1番作品7(Sz40)(1908-09)
・弦楽四重奏曲第3番(Sz85)(1927)
・弦楽四重奏曲第5番(Sz102)(1934)
タカーチ弦楽四重奏団
エドワード・ドゥシンベル(ヴァイオリン)
カーロイ・シュランツ(ヴァイオリン)
ロジャー・タッピング(ヴィオラ)
アンドラーシュ・フェイェール(チェロ)(1996.8.25-30, 9.9-13録音)

夜の音楽。20世紀のはじめに生み出された第1番からバルトークの音楽は挑戦的であり、民俗的な側面を強調しながら独自の方法を矜持する。もちろん、年を追う毎に、ますますその方法は輝きを増し、最高峰第3番のシンメトリックは、単一楽章ながら鏡たる第2部にその真価が集約される。タカーチ弦楽四重奏団の演奏は、息をもつかせぬほどの求心力に長けていて、それでいて空間的拡がり、すなわち自由自在であり、バルトークの本質を見事に顕す、傑出したものだ。

しかしバルトークは、民俗的旋律への情熱があったために、崖っぷちを越えるのを思いとどまる。音楽学者のユディット・フリジェシが見るように、ハンガリーのモダニストはウィーン人のように激しい完全破壊の傾向性を持ってはいなかった。そのかわりに、より高次の融合、超越的な調和を求めた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P87-88

ちなみに、「より高次の融合」は、後年になるほど顕著になる。
第3楽章を中心にしたアーチ形式の第5番は終楽章のコーダで突如現れる、調性的で民俗的な旋律によってすべてが解放される。それこそ最たる例だと僕は思う。

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