クリスマスの時期に、ベルリンの東西両側でベートーヴェンの交響曲第九番の二公演を指揮して、ベルリンの壁の崩壊を祝うつもりだ。オーケストラは、ドレスデン・シュターツカペレ、バイエルン放送交響楽団、そして、法律的にはいまだにベルリンを統括している4か国のオーケストラ、つまり、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団、パリ管弦楽団、レニングラードのキーロフ劇場管弦楽団のメンバーから構成されるんだ。合唱は、東西両方のドイツの歌手からなる予定だ。そして、僕は、フリードリヒ・シラーの「歓喜に寄せて」のテキストを改めて、「フロイデ(喜び)」を「フライハイト(自由)」に替えようと思う。「アレ・メンシェン・ヴェルデン・ブリューダー(すべての人々が兄弟となる)」と合唱が歌うとき、「フライハイト」にした方がいっそう意味深くなるからね、だよね?
~ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P181
思い入れたっぷりの交響曲第9番ニ短調作品125。
最晩年のバーンスタインの音楽は、牛歩の如く遅々として進まず、もたれるものも多い中で、1989年のクリスマスの日の、ベルリンの壁の崩壊と東西ドイツの統一を記念しての演奏は、どの瞬間も光輝かんばかりの重みと祝祭に満ちている。
あれから30年が経過するのだと思うと、時の経過のあまりのスピードに驚きを隠せない。初めて耳にした日の感動を僕は今も忘れない。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソの、微動だにしない(ベートーヴェンの創造した)最強の音のドラマに恍惚とする。絶妙なリタルダンドでの終結が素晴らしい。また、第2楽章モルト・ヴィヴァーチェの一見クールでありながら、そこから発せられる熱量の凄まじさ。
第九交響曲を作曲することによって、ベートーヴェンは、単に音楽的な観点からだけではなく、人間的な観点からも素晴らしい作品を創り出しました。ベートーヴェンの音楽は、それがフィナーレ楽章で断固として象徴しているものによって、きわめて人間的なものになっています。ベートーヴェンは、私たちの各々の心の中で、もっとも真正な平安と友愛の感情を揺さぶり、そうした感情は、人間を何の分け隔てもなく結びつけるはずです。そしてそれは、おそらく、ベートーヴェンのような、絶望と孤独に苛まれた作曲家が抱き得るもっとも崇高なものと言えるでしょう。
~バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)P166
最晩年のインタビューでバーンスタインはそう語る。
第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレの天国的な美しさ。東西を代表する6つのオーケストラから選ばれた団員が信じられないほどの一体感をもってベートーヴェンの最後の交響曲の大切な緩徐楽章を、祈りと共に奏するのだから堪らない。僕は警告のラッパの堂々たる深みに涙を禁じ得ない。
そして、いよいよ終楽章プレストの、さすがに少々雑なアンサンブルが露呈するものの、絶叫を伴った音楽が統一の喜びを奏するシーンは、バーンスタインの信条告白のよう。低弦による「歓喜」の主題も実に意味深い。
公には知られていないが、バーンスタインは1990年4月に放射線治療を始めていた。肺の周りの膜組織を攻撃する、中皮腫として知られる悪性腫瘍を減少させるためである。それでも、不屈の彼は、6月初旬にプラハの春音楽祭を指揮するという約束をなんとかやり遂げた。そのとき指揮したベートーヴェンの「第九」は、彼の最後の「第九」になった。
~ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P185
バーンスタインは病院に殺されたようなものだ。
その後、バスのレチタティーヴォに導かれて合唱がついに「自由」を叫ぶシーンの解放感!!すべての音が喜びに溢れている。
おじゃまします。このCDを聴いてみました。今まで存在すら知らなかった、という無知迂闊さに唖然とします。私は1989年の夏にチェックポイントチャーリーを通って東ベルリンをウロつき、ふと振り向いて西ベルリンを眺めたとき、商業主義丸出しの高層ビル群に、「帰りたくない。」と思ってしまいました。もちろんおとぎ話のような街角を演出してそう思わせるのが東側の意図なのですが、その3ヶ月後に壁が崩壊するとは! このCDの光景は感慨深いです。その1ヶ月後にバーンスタインがやってきて第九を演奏したんですね。
たくさんの人が参加しているのでしょうか。音の重量感がすごいです。1楽章から尋常じゃないテンポの遅さ、哲学的遅さ(?)3楽章も、美しさを前面に出すのではなく、なんだか淀んだはっきりしない逡巡(何か口ごもりながら言いたそうな)が続いて、かと思うと断固とした旋律が始まって…とすっきりしないもやもやした混沌を突き抜けて、最後のクライマックス、合唱の輝かしい勝利へと収斂されていく、という感じがしました。最後の速さはあまりの早口で、合唱団泣かせだったのではないかと。それだけ白熱したフィナーレでした。バーンスタインの思い入れが伝わってきました。指揮者の人生も懸けた演奏だったかもしれませんね。
この冬、県民による第九演奏会にアルトで参加する予定です。主旋律に隠れてあまり聞こえてきませんが、意識して聴くようにしたら、合唱を豊かにするのにかなり貢献していることがわかりましたので、がんばりたいです。 失礼しました。
>桜成 裕子 様
実際に当時東ベルリンを訪問されていたこと、とても羨ましいです。
歴史的瞬間に立ち会われたようなものですからね。
ちなみに、その夏、僕はウィーンを訪問していました。初めてのウィーンは感激一入だったことを思い出します。
この演奏は、にわか仕立てのオケですからもちろん瑕はあるのですが、やっぱり最晩年のバーンスタインの尋常ならざる思い入れと、時代の空気感と言いましょうか、それがはっきりと刷り込まれていて、少なくとも僕には大切な第九です。
この冬、第九を歌われるとのこと、素晴らしいです。
楽しんでください。
[…] バーンスタインがベルリンの壁崩壊を祝して演奏した「第九」はまさにFreiheit(自由)と歌われているが、その半年前にいみじくも朝比奈がそのことを語っている点が興味深い。しかし […]