バルシャイ指揮ケルン放送響 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番(1994.3&1995.10録音)

それについて語るのはつらく、不愉快ではあるが、真実を語りたいと望んでいるからには、やはい語っておかなければならない。その真実とは、戦争によって救われたということだ。戦争は大きな悲しみをもたらし、生活もたいそう困難なものになった。数知れぬ悲しみ、数知れぬ涙。しかしながら、戦争のはじまる前はもっと困難だったともいえ、そのわけは、誰もがひとりきりで自分の悲しみに耐えていたからである。
戦前でも、父や兄弟、あるいは親戚でなければ親しい友人といった誰かを失わなかった家族は、レニングラードにはほとんどいなかった。誰もが、いなくなった人のことで大声で泣き喚きたいと思っていたのだが、人に見られぬように毛布を頭からひっかぶって、声を殺してすすり泣くしかなかった。誰もがほかの誰かを恐れ、悲しみに打ちひしがれ、息もつまりそうになっていたのである。
わたしもやはり悲しみに咽喉のつまる思いだった。わたしはそのことをこそ書かねばならず、それが自分の責務であり、自分の義務だと感じていた。非業の死をとげたすべての人々、処刑されたすべての人々のための鎮魂曲を書かねばならなかった。恐るべき殺戮機械を描き、それにたいする抗議を表現すること。しかし、それはどのようにして可能だっただろうか。そのころのわたしは絶えず嫌疑をかけられ、批評家たちは私の交響曲の長調がいくつ、短調がいくつと計算していたのだ。わたしは重圧に押しひしがれ、なすすべを知らなかった。

ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P243-244

「証言」の真偽は横に置く。
少なくとも戦争当時のショスタコーヴィチの心境は、上で語られる通りだったのだろうと思う。重要なことは、つらく、不愉快な戦争体験が、一方で、自身を救う大きな契機となったことを彼が自覚している点だ。実に陰陽二元の不可思議。

戦争のおかげで自分を表現する機会に恵まれたのは、わたし一人ではなかった。周囲にいた誰もが同じことを感じとっていた。戦前、完全に抑圧されていた精神生活が活気をとり戻した。多くの人々は、第5交響曲のあとにわたしが復活したと考えているようである。そうではなく、わたしが復活したのは第7交響曲のあとだった。いよいよ、人々に語りかけることができるようになった。まだ困難ではあったが、とにかく以前よりはいくぶん楽に呼吸できるようになった。戦争の歳月が芸術にとって実りあるものだったとわたしが考えた理由はこれである。これはどこにでもある状況ではなく、ほかの国なら、おそらく戦争は芸術を妨げるだろう。しかしロシアにおいては、悲劇的な理由から、とにかく芸術の開花が見られたのである。
~同上書P244-245

交響曲第8番ハ短調作品65。1943年11月4日モスクワ音楽院大ホールにて、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮ソビエト国立交響楽団により初演。
ムラヴィンスキーに捧げられたこの作品は、ムラヴィンスキーの録音があればほかは不要だと僕はずっと思っていた。しかしながら、ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団の演奏を初めて聴いたとき、僕は驚いた。バルシャイの録音は、ムラヴィンスキーをすら凌駕する。
一言で表現するなら、ムラヴィンスキーの峻厳さが排除された、ショスタコーヴィチの慈悲なる側面を強調したのがバルシャイだ。録音も優秀で、あの晦渋ともいえる哲学的作品が、より深く理解できるのだから素晴らしい。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団(1994.3.14&1995.10.16録音)

第1楽章アダージョの、悲劇性というよりむしろ希望の音楽。思念をできるだけ削ぎ、速めのテンポで語られる音楽は冒頭から終始一貫して心に沁みるもの。何という温かさ!!
長大な第1楽章を耳にするだけでバルシャイ盤の価値は十分にあるが、楽章を追うごとに尻上がりに調子を上げるバルシャイの指揮は、終楽章アレグレットになるともはや神々しくもある。
第2楽章アレグレットの爆発に卒倒するも、ピッコロをはじめとする木管楽器奏者たちの独奏のあまりの美しさに感激。そして、戦争の悲しみを露わにする第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの、血を噴くような有機性。素晴らしい演奏だ。アタッカで続く第4楽章ラルゴは、変奏曲であり、深沈たる神の声。ここには作曲者の鎮魂が刻まれる。

女流詩人アフマートワは彼女の「鎮魂歌」を書いたが、第7番と第8番の交響曲はわたしの「鎮魂曲」である。
~同上書P245

そうして、いよいよ終楽章アレグレットの、ショスタコーヴィチ的アイロニーの顕現。愉快な、喜劇的音調に支配されるも、(どんなクライマックスも)音楽は清流の如く滔々と流れ、心地良い。これぞショスタコーヴィチの真の心象。圧巻である。

自分の音楽が成功を収めたという知らせは、満足以外のなにものでもないと思われるが、わたしには真底からの満足はなかった。自分の音楽が西欧で演奏されるのは嬉しいことだが、しかし、その音楽について饒舌に語られ、本質とは関係のないことまで語られるのは望ましくない。
~同上書P246

得てして「側」しか見ない人々にある苦悩。本質を見極めることができれば、何事にも希望しかないのだということが即座にわかるだろう。

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