ハイドシェック ベートーヴェン ソナタ第11番作品22ほか(1967-73録音)

当たり前だけれど、ベートーヴェンは、僕たちと何ら変わることのない、同じ人間だった。

「7月6日朝、朝、わが天使、わがいっさい、わたしのわたしよ、今日はただの数言を―」

まだ故人の遺体が身近かにあるところで、この手紙を読んだ友人や弟子たちはどんな気持だったろうか? 少なくとも、それが生涯独身を通したベートーヴェンにとって、かけがえのない大切な愛の形見だったことは明らかだった。もしそれが一時的な情熱の結果だったり、相手に裏切られたりしたのだったら、とっくに破り棄てられていたはずだからである。
青木やよひ「『不滅の恋人への手紙』をめぐるミステリー」
~映画「ベートーヴェン 不滅の恋」パンフレット

最後の仮説は必ずしも是ではないように僕は思う。
ただ、謎は謎のままで置いておけば良いのだとまた僕は思う。
生涯独身を通したとはいえ、たぶん結婚という形式を結果として拒否しただけで、ベートーヴェンはあまりに人間臭く、恋愛についても途切れることなく、旺盛ではなかったか。
それは、少なくとも彼の音楽を聴けば、容易に想像できる。

軽妙洒脱で自由奔放、この人の生み出す音楽の印象はそんなところ。
ステージにおいても聴衆へのサービスは満点、しかし、ひとたび演奏が始まると鬼神が乗り移るかのように時に地響きを立て、時に天使が煌めくように静かに囁き、縦横無尽のアゴーギクで音楽が奏でられる。どんなに体調不良のときでも彼はステージに立った。

かつて聴いた(未完の)ベートーヴェン・ツィクルスが懐かしい。
どの瞬間も音楽的で、激しく、(大きな瑕がありながらも)また優しく、僕は心から感動した。

録音のエリック・ハイドシェックは安心だ(会場は、パリはサル・ワグラム)。
極度の冒険はなく、安定の美しさ。どのソナタも明朗で、また豊か。
「悲愴」ソナタなど、第1楽章序奏グラーヴェから何と開放的な音!!そして、第2楽章アダージョ・カンタービレは崇高な想いと祈りをこめて歌われる。終楽章ロンド(アレグロ)の愉悦、どれもが「最高」の瞬間を紡ぎ出す。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
・ピアノ・ソナタ第9番ホ長調作品14-1
・ピアノ・ソナタ第10番ト長調作品14-2
・ピアノ・ソナタ第11番変ロ長調作品22
エリック・ハイドシェック(ピアノ)(1967-73録音)

ハイドシェックのピアノは、ベートーヴェンと言えど、コロコロと音を転がすようにニュアンス豊かに奏し、まるでモーツァルトのよう(ソナタ第10番ト長調第1楽章アレグロ)。特に、主題が短調で奏される瞬間の哀切感が堪らない。
あるいは、(先日ポゴレリッチがリサイタルで弾いた)ソナタ第11番変ロ長調第2楽章アダージョ・コン・モルト・エスプレッシオーネの滋味と安寧はハイドシェックの真骨頂。同時に、第3楽章メヌエットは陽気な舞踊。さらに、何よりベートーヴェンらしい堅牢でありながら自由な終楽章ロンド(アレグレット)が跳ねる。

同社(ネーゲリ)はおそらく1802年5月頃、ベートーヴェンに何曲ものソナタを所望したものと思われるが、それは3曲で打ち切られた。最初の2曲の出版があまりにも杜撰でベートーヴェンの激しい怒りを買ったからである。ベートーヴェンは直ちにこの際はまずは旧友ジムロックのところから「正しい版」を出すことを考えた。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P176

ベートーヴェンの自負と細やかさがうかがえる、あまりに人間的なエピソード。
だからこそ彼の作品は普遍的なのだと思う(エリック・ハイドシェック然り)。

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6 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。ハイドシェックのこの11番を聴きました。陽が豊かに燦燦と当たっているベートーヴェン、と思いました。善なるものが満ち溢れていて、安心して身を任せて聴くことが出来る音楽、と感じました。ピアニストの育ちの良さ、というものがあるとしたらこのような人ではないか、と。第2楽章がゆったりと美しく、とても気に入りました。ポゴレリッチの11番を聴いてから、手持ちのCDの11番を2~3聴いてみましたが、ハイドシェックの演奏に、作曲当時の青年ベートーヴェンの意気と自負あふれるものを感じました。
 恥ずかしながら、「悲愴」と「月光」の間に存在する9番から13番に、今まであまり注意をはらってきませんでした。どの曲も個性的でそれぞれに、これぞベートーヴェンの素晴らしい楽章があり、改めてうれしくなりました。そして僭越なのですが、CDで聴く名人ピアニストの演奏は大概(ハイドシェックも含めて)、速く、また強く弾きすぎではないかと思います。ベートーヴェンの速度指定を守った上での演奏かもしれないのですが、ベートーヴェンの思いのこもった、得も言われぬ美しい旋律をもっとゆっくりしみじみと弾いてほしい、と思うこと多々です。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ベートーヴェンの指定は、速めだといわれますから、おっしゃるように「大概速い」と感じられるのもその通りなのかもしれません。僕もどちらかというと緩徐楽章は粘るように歌われる方が好きです。しかし、特に年齢を重ねてくると、速めのテンポで一気呵成という演奏もありだと思えるようになってきました。

返信する
桜成 裕子

しつこくおじゃましてすみません。
ベートーヴェンの恋文に関することですが、ベートーヴェンは結婚をとても望んでいたと思われます。ウィーンに出て来たてのころ、なんとかいう歌手に求婚しているし、テレーゼ・マルファッティ嬢との結婚を画策して、そのための洗礼証明書を手配したりしています。ヨゼフィーネ・ダイム未亡人にも、身分違いに阻まれたけど結婚を望んでいたことが残された手紙でもわかります。「不滅の恋人への手紙」はそんなベートーヴェンとの結婚を望む女性がいたことを示すもので、特別な意味を感じます。それは20世紀になって、年代と場所の特定ができ、考えられる唯一の女性、アントーニエ・ブレンターノがあぶりだされ、論争に決着がついたかに思えますが、アメリカの学者が最近になってヨゼフィーネ説を唱えました。「ベートーヴェン像再構築」で大崎慈生氏は、「不滅の恋人」がアントーニエであることは証明済みのこととして扱っておられます。ベートーヴェンが1812年秋にリンツの弟の薬局に滞在していたのは、弟とその家に下宿していた女性との結婚に横やりを入れるためだった、という従来の説を否定し、ブレンターノ一家がウィーンからフランクフルトに引き揚げるのをリンツで待っていたのだ、と書かれています。その直後にベートーヴェンは「おまえにとって幸福は芸術の中でしか得られないのだ」とか「こうしてAとのことはすべて崩壊にいたる」で始まる日記を書き始めます。あの恋文を書いて間もなく、アントーニエと夫フランツ、ベートーヴェンの3人で、カールスバート、フランツェンバードと同じ宿に仲良く宿泊している不思議、その後一人でテプリッツに戻ってしばらく上機嫌で過ごしていた不思議、アントーニエの末息子がベートーヴェンの子だという噂が当時あったという不思議、ブレンターノ夫妻(特にフランツ)にお金を借りたりして、夫妻を「世の中で最も高貴なお二人」と呼んでいる不思議・・・等多くの疑問がありますが、あるからこそですが、ベートーヴェンの人と芸術に関心がある者としては、謎は謎のままで、という境地にはなかなか達せません。アントーニエが「二人の間には優しい友情が芽生えていた」と伝記作家セイヤーに語るにとどめている以上、今以上はわからないのかもしれませんが、そうであるなら、あの手紙がベートーヴェンの誇大妄想が生んだ一人相撲ではなく、ベートーヴェンが素晴らしい女性を愛し愛される幸福を味わったであろうことを願うしか、今のところありません。長々と、お許しください。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

後世の僕たちに想像の余地を残してくれたのもベートーヴェンを「聴く」醍醐味の一つだと僕は思います。
不思議は多くとも、(ベートーヴェンに耳疾があったおかげで?)あの時代にして相当の証拠が残されていることは奇蹟ではないでしょうか。

各々が様々な想像の中で様々な解釈のベートーヴェンを享受することこそ音楽を聴く最高の楽し方だと思います。
いつもありがとうございます。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 本当におっしゃる通りです。会話帳があること、当時の政治状況のおかげで宿帳が残っていること等、後世の者にとっては奇跡的な幸運ですね。
 こと不滅の恋人との破局に関しては、「芸術しかおまえの生きる道はない」とベートーヴェンに書かせしめたできごとであり、その後の後期ピアノソナタ、ミサソレムニス、第九、後期カルテット等への道を開いた、ベートーヴェンの境地の大きな変換点だったとすると、これからの新たな資料の出現による研究に期待せずにはいられません。 ご示唆、ありがとうございました。

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