
夜の帳が下りる。
そこにあるのは、静寂という音。
そして、その音に感じるのは、歌心である。何よりフランツ・シューベルト!!
最晩年のシューベルトの音楽には、希望や喜びがある。
しかし、一方で、その楽観さが切ない。後世に生きる僕たちには、それらが作曲されてまもなく彼が逝ってしまうことがわかっているからだろうか。
これは古い伝説の森。
菩提樹の花は馨り
ふしぎな月のかがやきは
わが心を魅了する。
「これは古い伝説の森」(「歌の本」第3版序詩)
~片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P170-171
特に、ピアノ・デュオ作品は、シューベルティアーデで仲間たちと楽しむために作曲されたものが多いからか、畏まらない、そして赤子のような彼の純粋無垢な心境が投影される。旋律の美しさはもちろんのこと、二人の奏者から湧き上がるような愉悦を感じるのである。
亡くなる5ヶ月前に作曲されたロンドイ長調D951の完全美。
シューベルトの音楽には、いつ果てるとも知らぬ永遠が刻印されるが、この作品は「長さ」を感じさせない。いつまでも浸っていたいくらいの調和と喜び。
君逝きぬ。思いもかけず君逝きぬ。
君が眼の光消えぬ。
君が紅き唇消えぬ。
君は早やこの世に亡し、わがいとしき君は。
「旧き歌」
~同上書P174-175
確かにシューベルトはあの時点ですでに死んでいたのかもしれない。
まるですべてが黄泉の国からの贈り物のように聴こえるのだから。
壮年のピリスの直観とセルメットのセンスが交わるところに、シューベルトの天才が重なる様。ただひたすら音楽に没頭する彼らのピアノの美しさ。
春の気配。希望。