ロストロポーヴィチ 小澤征爾指揮ロンドン響 シチェドリン ソット・ヴォーチェ協奏曲ほか(1994.11録音)

ロディオン・シチェドリンの告白などといえば大袈裟だけれど、ソヴィエト連邦で生き延びた芸術家たちの壮絶な生き様に言葉を失う。愚かな人間の、我欲の塊の成れの果て。しかし、人類はそういう状況を経なければ真に再生することは叶わなかったのだろう。意味のないものはそもそも存在しないから。

革命直後のソヴィエトでは、ショスタコーヴィチを始めとする音楽アヴァンギャルドのグループが輩出し、また絵画の世界でもシャガールやカンディンスキーといった際立った才能が出現していました。ところが、権力がスターリンに集中すると同時に、そうした芸術はすべて圧殺されてしまった。
極端な例は映画で、何とスターリンはすべての映画を自分で検閲して、気に入らないものは上映禁止にしていたんです。

(1989年10月31日、紀尾井町俱楽部にて)
「武満徹著作集5」(新潮社)P119-120

独裁の怖ろしさ。所詮人間が国を、人々をコントロールしようということ自体おこがましいことだ。

結局ロシアに社会主義革命が起きたその瞬間から、ソヴィエトは間違ってしまったんだと思うんです。人間が自然から授かった体と心・・・そういう生理的なありかたを、彼らは全く最初の瞬間から無視してしまった。そこにあの巨大な悲劇はあらかじめ予言されていたと思うんです。例えば犬とか猫に明日から一切食べものを与えないという法律を施行することはできます。でもそれを人間に適用することは絶対にできない。そういう一番大切な本能を、あの制度は無視してしまったんですよ。
~同上書P121

概ね正論だ。しかし、実際には人間だけが優位なのではない。犬猫にだってそういう法律は適用できまい。すべての命はまったく同質ゆえに。
ちなみに、このインタビューは、ベルリンの壁崩壊のわずか10日前という世界の大変動の時期に行われたものだ。ソヴィエト連邦の崩壊もついそこまで来ているということだが、ペレストロイカの問題が噴出する中、シチェドリンはまた次のように語っている。

結局システムが動いていないんです。つまり、ついこの間までかろうじてシステムが動いていたのは、恐怖にしめつけられていたからだったんです。トラックを動かし、クレーンを動かし、物を消費者のもとまで送り届けていたのは恐怖だった。恐怖というセメントで人々を固めていた。その恐怖をペレストロイカが取り除いてしまったので、もう誰も働こうとしない。
とにかくスターリン時代には5分遅刻すると5年間の刑務所暮らしでしたからね。当然遅刻する人は一人もいなかった。

~同上書P124

いかんせんシステムのあり方の難しさ。
それにしても武満徹とロディオン・シチェドリンの対話の面白さ。二人は昨今の芸術についても次のように語っている。

SHCHEDRIN そう、人間の精神というものは、本来、秩序の中の無秩序を心地良く思うものなんですよ。秩序だけでは息苦しいし、無秩序だけでは不安になる。
武満 だから音楽というものは、非常に数理的な秩序を持ちながら、その秩序を壊していくようなひどい非整合的なものも同時にあるというような、そんな形が望ましいと思うんです。
ですから僕はアヴァンギャルド・ミュージックも素晴らしいと思う。確かにアヴァンギャルドは音楽を複雑にしたし、豊かにしてくれたと思うんですが、でも、結局あれはすべて整合的なんですよ。
SHCHEDRIN そう、ですから私の考えているポスト・アヴァンギャルドというのは、籠の中の鳥を全部自由に放してしまったような音楽なんです。

~同上書P126

シチェドリンの音楽は悲しい、あるいは暗澹たる闇のような瞬間を刻印する。
しかし、音楽で彼は心情を、精神を語る。不安もなければ息苦しさもない。そこには解放された自由があり、それこそまさにシチェドリンのいうポスト・アヴァンギャルドのあり方なんだろうと思う。

・ルノー・ガニュー:チェロと管弦楽のためのトリプティーク作品24(1989)
・ロディオン・シチェドリン:チェロと管弦楽のためのソット・ヴォーチェ協奏曲(1994)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
小澤征爾指揮ロンドン交響楽団(1994.11.9-10録音)

演奏時間40分ほどのソット・ヴォーチェ協奏曲は、その名の通り終始静かに流れる。ここにある静寂こそが、シチェドリンがソヴィエト時代から求めていた真の心の静けさの表象であるように思われる。共産主義が崩壊した後、ロシアはとても苦しんだだろう。しかし、静かに前進せんとする力が漲るこの音楽には、作曲者の未来への希望が刻み込まれているようだ。過去の苦悩を背負ってシチェドリンは、妻であったマヤ・プリセツカヤとの愛を謳歌する。そこには慈愛があり、また慈悲があった。出会うすべての人・事・物に感謝すべくシチェドリンは音楽を書く。

SHCHEDRIN ですから、これは本当に正直に言いますが、その時私は生き残るためにレーニンを讃える作品を書きました。刑務所で一生を暮すのは、やっぱり嫌ですからね。
武満 レーニンは讃えてもいい人ですよ。僕自身は嫌いですけどね。
SHCHEDRIN しかし節をまげるのはつらいことでした。私は本当のところ、共産主義の思想に共鳴したことは一度もなかったんです。もちろんそんなことは母とか妻にしか言いませんでしたが・・・。

~同上書P130

先般亡くなったガニューの「トリプティーク」も夜の気配著しい名曲。ロストロポーヴィチの独奏チェロが光る。


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