音楽の分野では、1945年に没したバルトークが、偉大な国民的作曲家にして反ファシズムの英雄と見なされていたものの、しかし一方でその作品の大部分は検閲の犠牲となっていた。演奏できたのは「管弦楽のための協奏曲」や「ピアノ協奏曲第3番」、民謡編曲などで、言い換えれば「穏健な」、不協和音の少ない作品だった。しかし、全ての「モダン」な芸術の禁止(かつてナチス時代のドイツがそうしたように)は、むしろ体制的でない芸術家たちに、モダンというものへの興味をますます煽ることにもなったのである。
(沼野雄司訳)
~SRCR 1992ライナーノーツ
ジェルジー・リゲティの言葉は的を射ている。
ルールや締め付けがあるからこそ人は好奇心からそれを破りたくなるのだと言っても良いだろう。
優れた芸術家がそもそも決められた枠の中に納まるはずがない。破壊あっての創造。新しい物事は無茶から始まると言っても過言ではなかろう。
20世紀という狂気の時代の、(ある意味)実験的な国家に生を得たがゆえの不自由。そして、自由を求めて抗っての革新的芸術。武満徹との対談の中でリゲティはかく語る。
私はユダヤ人ということで軍隊で強制労働をさせられたのですが、皮肉なことに、この強制労働が私の命を救ったのです。他のユダヤ人やユダヤ系の人たちは皆殺しにあったのですから—。あるいは日本の方には、この「皆殺し」のイメージが伝わりにくいかもしれませんが、この時の弾圧では、実に最初の数カ月間で、ハンガリー国内のユダヤ人の大部分にあたる40万人もの人々が虐殺されているんです! 私は本当に幸運だったんですよ!
~「武満徹著作集5」(新潮社)P169
言葉のリアリティ!
そして、起こるすべてに意味があり、世界に必要な人材ならば偶然か必然か、必ず救われることになるのである。
ですから戦後、ソ連軍が進駐してきた時には、私たちは解放された、と歓喜しました。ナチは崩壊した。弾圧の時代は終わった、と。ところが、僅か3年で、今度は共産主義の新しい奴隷制度が始まってしまった。その生活がどんなものかは、実際に体験した者でなければ分からないと思います。
~同上書P169
2つの独裁政権のもとで生活したリゲティならではの暗澹たる心情が投影された音楽と、一方で希望に満ちた明朗な音調が開かれる音楽と。すべてが美しい。リゲティは続ける。
私はハンガリーの文化を深く愛しています。しかし、芸術家としては、当時の制度のもとで生きることは不可能でした。現代芸術等は完全に弾圧され、息もできないような状況でした。その点ではヒットラーの時代と少しも変わらなかったのです。
~同上書P169
僕たちには想像もつかない現実が実際にあったのである。
バルトークをお手本にしたという「夜の変容」と題する弦楽四重奏曲第1番は、リゲティのダーク・サイドの象徴だ。一方、アンダンテとアレグレットは闇の世界に抗った彼のブライト・サイドを示す希望の音楽のように思われる。その意味でリゲティの音楽は決して難しくない。まして前衛でもない。独裁を経験したジェルジー・リゲティならではの、崇高なる理想世界を、何かに支配されることのない、自由自在な世界を想像しての音宇宙が、アルディッティ弦楽四重奏団の方法をもって無限に広がるようだ。