朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー第2番(ハース版)(1976.8.25録音)

40年前、朝比奈隆のブルックナーに触れ、僕は音楽に目覚めた。
それから、いろいろなディスクや様々な文献を漁る中、ある日、僕は次の文章に出逢った。

「ジァンジァン」のレコードは限定発売であり、広く一般の音楽ファンの手に行き渡ったとはいえないし、レコード雑誌にも批評が出ず、買いそびれた人も多いことだろう。大手のレコード会社が愚図ぐずしていたための弊害であるが、一方では長所もあった。「ジァンジァン」の社長高島氏は大のブルックナー・ファン、朝比奈ファンであり、録音のときは、必ず客席に姿を見せていたが、最初のレコーディングである「七番」が鳴り出したときは感動のあまり涙が出て来たそうだ。良いレコードを作るためには金に糸目もつけなかった。
宇野功芳著「音楽には神も悪魔もいる」(芸術現代社)P92

とにかく惹かれた。惹かれたが、しかしそのときはもはやそのセットを聴く術がなかった。だから、それから数十年後にCD化され、リリースされたときには僕は狂喜乱舞した。
ただし、その頃すでに朝比奈隆のブルックナーは幾種も出ていて、すべてを聴いていたし(大抵の東京公演も実演を聴いていた)、ブルックナー熱もだいぶ冷めていたから、ジァンジァン盤は、(大枚叩いて)手に入れるだけ入れ(その後リマスター盤も発売され)、ほとんど真面に聴かず、棚の奥で埃を被ったまま眠ってしまった。

今頃になってようやく一つ一つを具に聴いている。
果たしてどれもが本当に素晴らしいと思う。人類の至宝ともいうべき出来だ。

・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ハース版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1976.8.25録音)

ブルックナーの、唯一献呈のない交響曲。
同時代の人々、名の知れた音楽家にすら理解不能だった先進性。
その後の交響曲の雛形となる作品の(どの楽章も一切の弛緩のない)堂々たる美しさ。

ブルックナーは、はじめはこの交響曲を初演の因縁もあって、まったく謙虚な気持でウィーン・フィルハーモニーに献呈しようとした。しかし、フィルハーモニーの人たちは、ウィーンではまだ田舎者にも近いブルックナーを冷遇したので、この献呈は撤回されてしまった。それから10年以上もたって、ブルックナーは、この曲をリストに捧げようとした。リストは、これに対する返事の手紙を1884年10月29日に書いたが、この手紙であまり好意的な態度をみせていない。その上、ブダペストへの旅行のときに、この総譜をおき忘れてくるという不注意な失態を演じた。このためブルックナーは深く打撃を受け、この献呈を一時的にとりやめてしまった。
「作曲家別名曲解説ライブラリー5 ブルックナー」(音楽之友社)P44

外面の(いつもの朝比奈らしく)ごつごつしながら何という透明感を醸す録音なのだろうと納得した。そして、内面の、神性とでもいうのか、アントン・ブルックナーが生涯追い続けた神への敬虔なる信仰の表象が朝比奈隆によって見事に音化される様に僕は圧倒的に打ちのめされ、感激した。

第2楽章アダージョの得も言われぬ神々しさ。ブルックナーの大自然への憧憬か。
そして、一層素晴らしいのは、終楽章における(いかにもブルックナーという)大宇宙の鳴動。静かな呼吸に始まり、徐々に音量を上げ、クライマックスに至る人間技を超える官能。

アントン・ブルックナーは確かに不運だった。
彼は時代の先を行き過ぎていた。
朝比奈隆はブルックナーにとって救世主の一人だ。

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