喝采を、諸君、芝居は終わった

haydn_amadeus_q.jpg吃驚するような暑い日が続く。
先程は稲光で都心の夜が煌めいた。
昨日の朝の地震といい、自然が何かまた動き出したのだろうか?

先日、実家から子どもの頃の写真を送ってもらった。昭和39年から昭和45年ころに撮影したものがほとんど。明らかに瞬間を記憶しているもののあれば、すっかり忘れてしまっている出来事もある。あの頃と何が変わったのか?身体も心も成長しているのだろうが、何も変化がない、明らかに昭和40年代前半のあの頃と何も変わらない自分がいる。古いアルバムをたまに見返してみるのもなかなか面白いものだ。

ところで、先日来ベートーヴェンの話題を皮切りに、200年前のウィーン周辺の歴史が妙に気になっている。

ヨーゼフ・ハイドンが息を引き取ったのは1809年5月31日。自身が作曲した「皇帝賛歌」をほぼ毎日のようにピアノで演奏し、最後の日々を過ごしたという。ちょうどウィーンではナポレオンが侵攻し、暴れ回っていた頃だ。当時、ベートーヴェンは何をしていたのか?「皇帝」協奏曲や「エグモント」など名作を上梓しながらも、パトロンたちが皆ウィーンを離れ、意気消沈していた時。後から考えると、それは一時的な状況だったとはいえ、本人からしてみるととても不安なことだったろう。ベートーヴェンの人生を勉強してみるのは本当に面白い。

ちなみに、楽聖が無くなる直前に発した最後の言葉は、「喝采を、諸君、芝居は終わった」だという。まるで「マトリックス」の世界だ。こちらの世界が幻想で、あちらの世界に真実があることを実はベートーヴェンはわかっていた。だから、ベートーヴェンの書く音楽はどれも突出している。時に人間的でありながら、精神性というレベルでは一筋縄では計り切れない高みに達する瞬間も多い。ネオや「スター・ウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーと同じく”The Chosen One”(選ばれし者)だったのでかもしれない。

ハイドンが作曲の筆を折ったのは1803年頃のこと。体調不良により身体が思うように動かなくなり、楽想は怒涛のように閃くものの、それを形にすることができなかったジレンマに悩まされたという。その彼の最後の作品となった弦楽四重奏曲が未完のまま残されている。

ハイドン:弦楽四重奏曲ニ短調作品103(未完成)
アマデウス四重奏団

ハイドンらしい愉悦感に満ちた傑作だが、どこかに哀感を伴うところが最晩年の作だということを証明する。19世紀前半のヨーロッパ世界はナポレオン一色だった。おそらく当時の世の誰もがナポレオンに期待したことだろう。少なくとも1803年時点のウィーンの人々はそう考えていたといっても言い過ぎではない。

2つの楽章を楽譜にするだけでついに力尽きたハイドンは何を思っていたのか・・・?


19 COMMENTS

雅之

こんにちは。
エアポートラウンジから待ち時間暇なのでコメントしています(寄り道することになりましたので帰国はまだです)。
岡本さんと私によるアマチュアとしての共同自由研究の成果としてはですね、
つまりは、音楽学者も、プロの指揮者や演奏家も、我々アマチュアも、ベートーヴェンやハイドン、モーツァルト他大作曲家について、今までもう恥ずかしいくらいにほとんど何も知らなかった事実が判明したことですね(特に著名な音楽評論家の大半は論外)。
ピリオド奏法についても同じなんだと思います。現代の音楽ファンみんなの常識である、歴史的に忠実な弾き方・吹き方なんていう代物では全然なくて、もはや単なる奏法における流派のひとつに過ぎないと断言しておきましょう。
先日のふみさんのノリントンのエルガー演奏についてのご感想
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-478/index.php#comment-3541
も、歴史的に正しい奏法か否かの尺度で考えたら、残念ながらお話にならないです。個人的な趣味の好き嫌いの領域だけは、何ぴとたりとも否定できませんがね。次のブログなどをお読みください。私だけがそう言っているのではないことも、よくおわかりになるでしょう。
http://okaka1968.cocolog-nifty.com/1968/2008/08/post_ad6a.html
まあ、そんなことだろうなあと思います。
「あらゆる常識はまず疑ってかかれ」です。
常識とはその時代の多数決の原理、つまり世論調査みたいなものなので、まったくあてにはなりません(笑)。
>おそらく当時の世の誰もがナポレオンに期待したことだろう。少なくとも1803年時点のウィーンの人々はそう考えていたといっても言い過ぎではない。
ハイドンも時代背景を考慮して聴くと、まだ様々な発見が出来そうですね。
ご紹介の曲、虚心坦懐に聴き直してみます。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
エアポートラウンジからありがとうございます。
>作曲家について、今までもう恥ずかしいくらいにほとんど何も知らなかった事実が判明したことですね
確かにそうですね。毎日のようにやりとりをさせていただいて、吃驚くすくらい新たな発見があり、本当に刺激的です。ありがとうございます。
ピリオド奏法についても同感です。そもそも歴史的に忠実云々なんて実はナンセンスですものね。
>常識とはその時代の多数決の原理、つまり世論調査みたいなものなので、まったくあてにはなりません
おっしゃるとおりです。
ところで、ハイドンの最後の未完の四重奏曲についてですが、2つ目の楽章をシューマンがある楽曲で引用しているという記事を読みました。何の曲ですか?シューマン研究家の雅之さんならご存知かと思い、質問させていただきます。

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ふみ

>雅之様
海外への出張、大変お疲れ様です。
お水なり食事だけには十分にお気を付け下さい。
一つだけ、雅之様のコメントに申し上げたいことがございますのでコメントさせて頂きます。
僕はノリントンの演奏を歴史的演奏だったから素晴らしいなんて思っておりませんし、コメントにも残しておりません。
私はただ彼のピリオド奏法を通して創られた音楽に感動しただけです。彼の指揮美学から創られた音色、デュナーミク・アゴーギク、構成に感動したということです。私はピリオド奏法に関しては批判派・擁護派どちらの意見もよく分かります。ただお互い「絶対にピリオド奏法なんてなかったんだ(あったんだ)」という歴史的証拠を提示出来ないくせに理論だけが先走って純粋に音楽に感動できない頭でっかちな無意味な学者タイプの人間になりたくないだけですから。歴史的にどうであれ「音楽的」にその演奏に説得力があれば感動したいだけです。そっちの方が人生、得する気がしますしね(笑)あくまで僕はただの一リスナーですから。
>岡本さん
「喝采を、諸君、芝居は終わった」
この言葉だってベートーヴェンが本当に言った証拠なんてなーんにも無いですし、僕の研究してる歴史学ではただのこういう一個人が言った伝説的な言葉に関しては100%信用しません。こういったあくまで信憑性の少ない史料を基に研究してる学者なんていませんし、プロの世界にはこういった類の学者は相手にされません。昔、学者や大学教授を目指してた僕として申し上げたいのは岡本さんや雅之様がこういった場やアマチュアの立場として好き放題おっしゃる言葉の責任の重みと学者や教授、研究者がプロの立場として言うそれとは全くもって重みが違います。彼らは一生、人生をかけて研究してるんです。
まぁ、岡本さんは決してそんなことは無いと思いますがアマチュアの立場からからプロの方々の研究内容を卑下するのだけは僕としては許せなかったということです。
長々と生意気に申し訳ございませんでした。ネット経由だとどうしても字面しか見えないので冷たく感じてしまいますね。また実際にお会いした際に色々とお話できるのを楽しみにしております。

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岡本 浩和

>ふみ君
こんばんわ。
コメントありがとう。
ベートーヴェンの言葉については確かに信憑性は確かじゃないでしょう。しかしながら、この言葉のもつ意味、重みがいかにもベートーヴェンらしいということが最近になってようやく理解できたことと、仮にベートーヴェンの言葉でなかったとしたら誰が創作したものなのか、それを創り上げた人は真にベートーヴェンを理解していた人で、スゴイ人だぁと思ったので記事に採り上げた次第です。
>アマチュアの立場からからプロの方々の研究内容を卑下する
これについてはそういうつもりはないからご安心を。
>ネット経由だとどうしても字面しか見えないので冷たく感じてしまいますね。また実際にお会いした際に色々とお話できるのを楽しみにしております。
了解、ゆっくり話しましょう。

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雅之

>ふみ様
こんばんは。
御心配いただき、ありがとうございます。
>アマチュアの立場からからプロの方々の研究内容を卑下する
これについては、これからもそういうつもりだからご安心を(笑)。
アマチュアの批判にきっちり耐えられる仕事をしてこそプロですよ。
どの分野の仕事だって同じ基本の基。演奏家も実業家もビジネスマンもね。
研究者や学者なら尚更そう。

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ふみ

>雅之様
>これについては、これからもそういうつもりだからご安心を(笑)。
アマチュアの批判にきっちり耐えられる仕事をしてこそプロですよ。
どの分野の仕事だって同じ基本の基。演奏家も実業家もビジネスマンもね。
研究者や学者なら尚更そう。
では、僕もこれからも心おきなくワルターとベームのジュピターやヴァントのブルックナーを卑下し続けられますね(笑)
常識なんてただの大人数の人間が作り出した固定観念ですからね。

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雅之

>ふみ様
>では、僕もこれからも心おきなくワルターとベームのジュピターやヴァントのブルックナーを卑下し続けられますね(笑)
そんなの当たり前!
学問じゃなくて、いつも言うように「好きか嫌いか」だけなんだからね(笑)。ちっとも論理的じゃないし、週刊誌にも及ばない、子供の会話以下のレベルの低さです。
私の今の興味からすると、9,539,752番目くらいの重要度かな(笑)。世界人口の99パーセント以上のクラヲタ以外の人から見たら、まったく意味のない議論ですから・・・。
それよりは、作曲家の人生そのものの真実に興味がある。
自分の人生や我が子の教育の参考になるから・・・。

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ふみ

>雅之様
いやー、僕のバーンスタインのマーラー、ワルターとベームのモーツァルト批判に反応されていた以前の雅之様の御言葉とは思えないですね(笑)
まぁ、僕は音楽が作曲家の全てを語るものだと思いますし僕は僕のクラシック美学を多くの人と接する中で磨いていきます。

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雅之

>ふみ様
>いやー、僕のバーンスタインのマーラー、ワルターとベームのモーツァルト批判に反応されていた以前の雅之様の御言葉とは思えないですね(笑)
成長したんだ(笑)。
それに、バーンスタインやワルターの熱烈なファンでは元々ないんだけど、あの時はふみさんの暴論から、彼らと彼らのファンを弁護したくなっただけさ。
学んだんだ。凝り固まった視野の狭いクラヲタの皆さんを見てね。

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岡本 浩和

>雅之様
>ふみ君
こんばんわ。
いつの時代も人間はこういう「芝居」をして生きてきたんでしょうね。何時までやっても平行線でしょう(笑)。
ベートーヴェンも辟易していたのかもしれません。(まぁ、でもこういうやりとりは面白いですから、個人的には好きですよ)

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ふみ

>雅之様
なるほど(笑)
過去の雅之様のコメントを拝見してる限り暴論はお互い様だということは申し上げておきます。
僕はいつも雅之様のコメントをいただく度に思うことがあるのですが、別に他人の意見は他人の意見で良いじゃないですか。岡本さんはそういったスタンスを明確にされておられます。
僕は嫌いなものは嫌いだとはっきり申し上げておりますがその中に雅之様のように他人の意見や領域に踏み込むことは謹んでいるつもりです。雅之様のご意見に関してもなるほどな、自分とは違うなとか色々思いながら毎回拝見してます。
正直、他人の領域に踏み込んで来る一方で偏狭がどうとかおっしゃっている時点で僕には理解できない部分が多いです。
狭い道を歩く人ばかりだと道同士がぶつかることはありません。

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ふみ

>岡本さん
おっしゃる通りですね。
エルーデサロンの際にも申し上げたことですが岡本さんの音楽評論のスタンスには感服致します。僕は辛口でも良いので他人の領域にさえ入らなければ健全な議論が出来ると個人的には思うのですが。。。
そう言えば富士急に実物大のエヴァが登場しましたよね。行かれないんですか?僕は本気で行こうかと計画中ですが(笑)

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雅之

>ふみ様
>岡本様
おはようございます。
>狭い道を歩く人ばかりだと道同士がぶつかることはありません。
狭い道を歩くからこそ、人同士がぶつかりやすく危険なのではないですか?(笑)
「狭い道を歩く人」と「道同士がぶつかること」とは、何の関係もありませんよ。
>岡本さんはそういったスタンスを明確にされておられます。
私も、「あえて対立軸の反対側から考え、思考を立体的に深める」というここでのスタンスを、何回も明確に述べています。そのため、「あえてストライクゾーンぎりぎりの球も投げる」とも何回も申し上げ、ご了承をいただいております(かなり胸元えぐっているかな・・・笑)。
しかし、大胆にそれを試みたからこそ、ここで私が得、また岡本さんに提供できた知識は、計り知れないほど膨大なものになったのです。そうした趣味でのメリットがなかったら、こんなに毎日疲れることは行っておりません。
ふみさんも西洋音楽を学問的にアプローチされようとしたことがお有りなら、もう少し論理的に思考する習慣を学ばれたほうがよいと思います。いつも論理的に破綻→情緒への逃避→「他人の意見や領域に踏み込むな」といった自閉的タコつぼ空間への現実逃避と開き直りだけでは、趣味の世界でも、人間的にも、進歩は永遠にないですよ。それでも結構とおっしゃるなら「何をか言わんや」です。エヴァ観られたんでしょ、最後に「逃げちゃだめだ」とかなんとか言うやつ(笑)。
それとね、古山和男さんの本のあとがきではないですが、非論理的な感情論だけの意見で、チャイコフスキーやワルターやバーンスタインやゲルギエフや(グールド)たちの名誉を著しく損ない、貶めるような発言には強い憤りを感じたし、我慢なりませんでした。これからもそういう発言を読んだ場合は、容赦なく進んで体を張ってでも彼らの弁護人を買って出るつもりです。
彼らを批判するなら、私みたいに、もっと論理的に願います(反論される場合も徹底的に論理的に!・・・それでこそ私も勉強になる)。高いお金でイギリス留学して、ディベートは学びませんでしたか(笑)。でも、論理的っていうのは、西洋文明の基本ですよ。その点、岡本さんもふみさんも、私に言わせれば、善くも悪くも、どうしようもなく思考回路が情緒的、非論理的で、イコール日本人的なんですよね(物凄い長所でもある)。
私はね、ここで嫌われても岡本さんから永久追放されてもまったく平気ですよ。いつもその覚悟で書いているくらいですから。それだけ岡本さんにもクラシック音楽についての貴重な情報を提供してきた自負がありますし。岡本さんのこともふみさんのことも、いかにも典型的なクラヲタで大好きだけど、私自身も、過去何十年この趣味やっていても(私の場合、少しばかりのアマオケでの演奏経験を含めても)他では決して得ることの出来なかった知識をここで充分学ばせていただきましたし、もうこれ以上何も望むことはございません(といって明日になれば新たな発見がまたあったりするのです・・・笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>大胆にそれを試みたからこそ、ここで私が得、また岡本さんに提供できた知識は、計り知れないほど膨大なものになったのです。そうした趣味でのメリットがなかったら、こんなに毎日疲れることは行っておりません。
>岡本さんもふみさんも、私に言わせれば、善くも悪くも、どうしようもなく思考回路が情緒的、非論理的で、イコール日本人的なんですよね(物凄い長所でもある)
おっしゃるとおりです。たくさん学ばせていただいており、感謝しております。こういうことがなければ毎日のように書くこともなかったように思いますので。
とはいえ、曲がりなりにも僕と雅之さんとふみ君は面識ありますからね。これが会ったこともない人とのやりとりだったらちょっと怖いと思ったかもしれません(笑)。それくらい覚悟してやりとりをしているんだということがビシバシ伝わってきます。まぁ、そうでないとこのブログそのものの意味がなくなるのですが・・・(胸元をえぐるようなぎりぎりの会話は逆に対面ではなかなかしにくいですからね)。
>他では決して得ることの出来なかった知識をここで充分学ばせていただきましたし、もうこれ以上何も望むことはございません
とおっしゃらずに今後ともよろしくお願いいたします。(笑)
世の中には男もいて女もいます。論理的思考人間もいれば非論理的思考の人もいるのです。だから面白い。

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ザンパ

では、私がこの名言でまとめますね。
「行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。(福沢諭吉)」
みんな入れ子の中の入れ子ですよ。

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ふみ

>雅之様
いや、本当に我々はアスペルガー的症状で満載ですね(笑)
実に面白いですね。
>岡本さん
文系は文系、理系は理系の特徴があるということですね。

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アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » リアル・ワールド!

[…] とても爽やかな気分。 一気に晴れ間が広がったような(笑)。本当の意味で自由になれるだろうという喜びと幻想世界でなく真実の世界で生きようと心から思える事件が起こった。 これを機に当ブログも第4章に突入しようか?とも思うくらい(笑)。 いずれにせよ、自分の着地点と目的地がようやく(40歳後半にもなって?と思われましょうが、いろんな意味で僕は奥手でして・・・苦笑)明確になり、ブログの内容もこれから少しずつ変化をしてゆくかも・・・。その意味で、リアル岡本ワールドを一層追究してゆこうかと。そう、ベートーヴェンではないが、「茶番」はそろそろ終了ということで。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » すべてがショービジネス

[…] タイトルになっている冒頭の歌詞が気に入って昔繰り返しよく聴いた。 しかし、実にその後の歌詞の方が衝撃的。 「君に示せるのはすべてがショービジネスだということ」とジョンは言い切る。それはつまり「全ては見せ芝居」ということだ(この人の和訳がなかなか良い)。 ベートーヴェンが亡くなる直前に口走ったといわれる「喝采を、諸君、芝居は終わった」となぜか結びつく。天才はわかっていたんだ、と。 […]

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