ベーム指揮ウィーン・フィル モーツァルト 交響曲第29番K.201ほか(1977.3.11Live)

僕は結局カール・ベームの実演に触れることはできなかった。
あの頃伝え聞いた老ベームの演奏の評判は必ずしも良いものではなかった。いまだ軸を持たない10代の僕は、勝手な独断的風聞に相当影響を受けてしまった。その後、少しずつ残された録音、特に実況録音を聴くにつけ、その凄まじさに身が引き締まる思い。特に、聴衆を前にしての老指揮者は燃えに燃えた。

もしかすると、みなさん見ての通り、わたしが人々に語りかけるということに、わたしの秘密があるのかも知れません。昨日も申しましたが、聴衆はとても素朴でわたしが語りかけることを本当によく聴いてくれます。それは、わたしがルーチンワークをしないからです。つまり、わたしは常に新しい体験ができるよう試みているのです。
(結果として演奏は)良いときもあればそうでないときもありますが、わたしはいつでもすべてに最良のものを提供するよう努めています。これはみなさんも感じられていると思いますし、聴衆も感じていると思います。

TDK-OC006ライナーノーツ

オーケストラとのリハーサルを前にカール・ベームが語りかけた言葉である。
この言葉の中に、彼の音楽のすべてが含まれているのだと思う。要は、ベームはいつも一期一会で勝負していたのだ。だからこそ彼の実演はどんなときも熱く、心に響くものだった。

・モーツァルト:交響曲第29番イ長調K.201(186a)
・リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」作品20
~リハーサル
・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73~第1楽章、第3楽章
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1977.3.11Live)

東京文化会館における来日公演の記録。
浪漫薫るモーツァルトの青春の音楽が、全編ゆったりとしたテンポで進められる。第3楽章メヌエットが実に重厚に響く。そして、終楽章アレグロ・コン・スピーリトが悠々と語りかける。当日の聴衆の感動が、ここまで伝わるようだ。

何にも増して素晴らしいのが、シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」!!
まさにカール・ベームはシュトラウスの音楽に選ばれし人だ。本来、男性性と女性性の対照を明らかにする音楽が、老巨匠の手によって見事に統合される様。ウィーン・フィルの音は柔らかい。また、堂々たる迫真に満ちる。

私を駆り立てた、美しい嵐も、
今は静まり、静寂だけが残った。
あらゆる願いも、希望も、死に絶えたかに見える。
あるいは、唾棄すべき天からの閃光が、
私の愛の力を打ち砕いたのか、
突如、世界は荒涼として、闇に包まれた。

田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P86

「ドン・ファン」スコア冒頭に掲載されたレーナウの詩の結びの一部である。
本来、女性の純愛による救済を求めながらも叶うことなく破滅する様を描く音楽だが、ベームの音楽にはむしろ官能と希望が残されるよう。愛の力は何ものにも打ち砕かれはしないのだと言わんばかりに。

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