児玉麻里 ピアノによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲集(2019.10録音)

かつて、ベートーヴェン晩年の深遠なる弦楽四重奏の世界を誰もが享受できる時代ではなかった。それゆえに、後世の作曲家たちは、ベートーヴェンの傑作たちを世間にもっと知らしめんと、当時、一般に広まりつつあったピアノへの編曲を試みた。

いずれもが稀に見る、まるでもともとピアノのための作品であるかのように、鮮烈さと新鮮さを保持する。ここにはベートーヴェンが生涯追求した革新があり、また、稀代の作曲家たちがその衣を借りて、自身の創造性を誇示せんと力を入れた痕跡が見て取れる。

一聴、僕は驚いた。そして、芯から感動した。
何という協働。音楽が万国共通語であること、中でもピアノが、どれほど人々の心を捉える道具であるかを思い知った。児玉麻里の挑戦にまずは拍手を送りたい。

カレイドスコープ
ベートーヴェン・トランスクリプションズ
・サン=サーンス編曲:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」~第2楽章アレグレット・ヴィヴァーチェ・エ・センプレ・スケルツァンド
・サン=サーンス編曲:弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6~第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ
・バラキレフ編曲:弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」~第3楽章アレグレット
・バラキレフ編曲:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130~第5楽章カヴァティーナ
・ムソルグスキー編曲:弦楽四重奏曲第16場ヘ長調作品135~第2楽章ヴィヴァーチェ
・ムソルグスキー編曲:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135~第3楽章レント・アッサイ
・モーツァルト/ベートーヴェン編曲:クラリネット五重奏曲K.581~第4楽章アレグレットと変奏曲
児玉麻里(ピアノ)(2019.10録音)

世界初録音を含む全7曲は、どこをどう切り取っても衝撃的。ピアノの性質を生かしたダイナミズムと研ぎ澄まされた透明感に感無量。

師弟関係にあるバラキレフとムソルグスキーがそれぞれ編曲を残している点が興味深い。傑作「禿山の一夜」にまつわるエピソード。

改作を求めたバラーキレフに対して、彼自身が「私を襲っている憂鬱は、田舎の秋でも経済的な問題でもなく、別の理由からです。それは作曲者としての憂鬱です。私の魔女に関してあなたは条件付でお返事を下さいました。認めるのも恥ずかしいのですが、この憂鬱はそのことに対する作曲者の落胆です。私はこの作品をまともだと思っていますし、そう思うことを止めません。この作品で、私はいくつかの独立した小品の後、初めて大きな作品で独立した姿を現していると思っています。
(1867年9月23日付、ムーソルグスキイのバラーキレフ宛書簡)
森田稔著「ロシア音楽の魅力―グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー」(東洋書店)P99

保守と革新と表現するのが妥当かどうかはわからない、それでも両者の編曲を通して、その創造の力の差は明白だ。バラキレフ編曲による作品130第5楽章カヴァティーナは、とても正統な美しさを示す。晩年のベートーヴェンの純白な、空の世界を一切の衒いなく正面から受け止める方法だ。

一方の、ムソルグスキー編曲による作品135の2つの楽章が示す光と翳の、あるいは道化と真摯の、否、現実と空想の対比は、ベートーヴェンの作品を借りて、ムソルグスキー自身が、内なる不安と希望を統合した音楽の神髄のように僕には思える(何て悲しい音楽、しかし、それ以上に何て美しい音楽)。

しかし実際には、その翌日、2月4日に行われたドストエーフスキイ(1月28日没)を追悼する文学の夕べで、彼はピアノに向かって「《ボリース》の最後の場面で響く葬送の鐘」にも似た鐘の音楽を即興演奏した。引き続き、9日には「芸術アカデミー困窮学生支援音楽会」に出演して、フョードル・ストラヴィーンスキイなど数名の歌手の伴奏者を務めている。
そしてその2日後、2月11日の昼間に、彼は非常に興奮した様子でレオーノヴァのところに現れ、「もうどこにも行くところがない、通りにいるしかない」と言った。レオーノヴァは自分のところに受け入れ、「彼は一晩中椅子に座って寝た」。

~同上書P133

ムソルグスキーの最晩年の不遇、酒浸りの日々を知るにつけ、何とも言えぬ感傷に息が詰まる。それにしても彼の生み出す音楽は何と高尚で、また神々しいのだろうか。最高の編曲がここにはある。

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