アペルト指揮シュターツカペレ・ベルリン ベートーヴェン イタリア語アリアと重唱&ドイツ語アリア(1971録音)

世界が元々一つであることを教えてくれる「知られざる」ベートーヴェン。
彼が青年期の頃、少なくとも音楽の世界で優勢だったのは、イタリアだった。イタリア語歌劇、あるいは声楽曲など、世間に認知させるには、どうしてもイタリア語の作品を創造せねばならなかった。それゆえ、彼はアニトニオ・サリエリについて言葉を、そして、言語に相応しい付曲の方法を学んだ。

あまり知られていないベートーヴェンのイタリア語アリアは、彼の本性とは真逆のような、明朗で清澄な音調を持つ。これは、実際は彼の本性が明るかったことを示す好例だろう。

一方のドイツ語のためのアリア。
ベートーヴェンの時代、それはフランス革命後の市民の台頭の時節と一致していたこともあり、ナショナリズムの発揚から世間は母国語の音楽を求めていたようだ。イタリア語のものとは異なり、それらは堅牢な衣装を纏い、気のせいか、いかにもベートーヴェンの音楽という様相を示す。そこには、生き生きとした心の発露が垣間見えるのである。

言葉の重みを思う。
世界の大変化の真只中で、生まれ変わることが重要だ。
何より意識の変容。常識からの脱皮。

ベートーヴェン:イタリア語アリアと重唱
・シェーナとアリア「ああ、不実なる人よ」作品65(1796)
・ソプラノのためのシェーナとアリア「初恋」WoO.92(1792)
・ソプラノのためのシェーナとアリア「いいえ、心配しないで」WoO.92a(1802)
・二重唱「お前の幸福な日々に」WoO.93(1803)
・三重唱「不信心な者よ、おののけ」作品116(1803)
ベートーヴェン:ドイツ語アリア
・アリア「接吻への試み」WoO.89(1792)
・アリア「娘たちと仲良くして」WoO.90(1792)
・ウムラウフの「美しい靴屋の娘」への2つのアリアWoO.91~第1番「おお、何たる人生」(1795)
・ウムラウフの「美しい靴屋の娘」への2つのアリアWoO.91~第2番「靴がきついのがお嫌なら」(1795)
ハンネローレ・クーゼ(ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ジークフリート・フォーゲル(バス)
アルトゥール・アペルト指揮シュターツカペレ・ベルリン

若きベートーヴェンの真っ直ぐさと革新的精神の交差。
このボックスで初めて耳にした作品が大半だが、こういう知られざる作品の中にベートーヴェンの真の声が聞こえるのも確か。

ベートーヴェンにとって作曲とは、あくまで生活の糧を得るための手段だったということ。後世の僕たちに残された偉大なる作品群は結果だということを忘れてはなるまい。

親愛なるベートーヴェン!
あなたはいまヴィーンへ旅立とうとしている、長きにわたって叶わなかった望みを実現するために。モーツァルトの守り神はその守り子の死をいまだ悼み涙している。汲めども尽きないハイドンのところに彼は避難の場を見出したが、仕事の場をではなかった。同人を通して彼はもう一度、誰かとひとつになりたいと望んでいる。たゆまぬ精進によって受けたまえ、モーツァルトの精神をハイドンの手から。

1792年10月29日 あなたの真の友 ヴァルトシュタイン
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P352

最高の讃美と期待に応えるべくまさにベートーヴェンは精進したのだと思う。

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5 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。
ベートーヴェンの若い時の作品にこのような歌があったことをご紹介くださり、ありがとうございました。やはりイタリア語とドイツ語という、音の特徴が真反対の言語につける音楽は自ずとちがってくるのでしょうね。1809年にもベートーヴェンはイタリア語の歌曲を作曲しているようですね。
 ここで岡本氏は「ベートーヴェンにとって作曲とは、あくまで生活の糧を得るための手段だったということ。後世の僕たちに残された偉大なる作品群は結果だということを忘れてはなるまい。」と書かれていますね。ベートーヴェンは何度か「パンのための仕事」と言っているようですが、たとえば「パンのために作曲するのはつらいことです。」など。でももしベートーヴェンが食べるために仕事をしなくてもよい身分だったら作曲しなかったかというと、そうは思えないので、どこかで「自分の中のものが外に出なくてはならないから作曲するのです。」と言っていたようですし、ベッティーナ・ブレンターノに、音楽は最も世界の本質を表すことのできる芸術だと語っていますし。その崇高な作業を、生活をする目的のためにしなくてはならない、という状態に腹を立てていたのではないでしょうか。1809年にルドルフ大公、ロブコヴィッツ侯爵、キンスキー侯爵によって成った年金契約も、生活の心配なしに作曲に邁進するためのものでした。それはいろいろな不幸が重なって、ベートーヴェンの思うような成果にはつながらなかったので、金策の苦労をしなくてはならなかったですが。ベートーヴェンにとって作曲が生活の糧を得るためのものであった、というのはちょっと違っているのでは?と思う次第です。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ベートーヴェンの才能は天性のものであったことと、古今東西の哲学から宗教など様々な書籍に触れていることを考えると、たとえ「パンのために」書いた作品であっても孤高の、革新的な、後世の作曲家に多大なる影響を与えるものになったのだと僕は思います。ベートーヴェンはいわゆる性格・性質の仮我と本性、すなわち真我が(本人があずかり知らぬほど)乖離しており、本人が深層に気づかずとも、ペンを取れば自ずと深遠なる傑作を生み出すことができたということです。特に、市民が台頭してきた世界にあり、また戦争の影響で貴族に食べさせてもらえなくなる可能性があった中で、やはり経済的な自立は課題であり、意識の上では「生活の糧を得るため」というのは当然であっただろうと思うのです。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 コメント、ありがとうございました。
ベートーヴェンはボンの選帝侯からウィーン滞在の旅費や奨学金をもらって、ハイドンのもとで修業をしに出たのですが、ウィーンで自立の目途がついたこともあり、ボンには帰りませんでした。宮廷や特定の貴族に雇われることはないフリーの作曲家なので、演奏会やレッスン、楽譜出版などで生計を立てるのは当然なことだったように思います。モーツァルトでさえ、途中でフリーになって超多忙な日々を送ったとききました。ベートーヴェンは、難聴のため自身で演奏をすることが難しくなってからは、生計を楽譜出版に頼らざるを得ない状況になったのはわかります。ですが、ベートーヴェンの音楽の仕事に対する姿勢は、生計を立てる縁であることはもちろんですが、神から与えられた能力を最大限に発揮することでなんらかの貢献をすることであったことが、ベートーヴェンのいろいろな言葉から窺われます。ベッティーナに語ったという、「音楽はすべての知識や哲学よりもずっと高い啓示であることを考えてもみないような世界を私は軽蔑しなければなりません。」「私の芸術では、神は他の人たちよりずっと私の身近にいられることをよく承知しております。」「音楽は精神生活を正しく生活に媒介してくれるものです。」「音楽は精神生活を正しく生活に媒介してくれるものです。」「音楽もまた他の芸術と同じく、その根底に同義的精神を高い目標としています。」「芸術は神から賜ったもので、人間の能力のなかにはかくされていて、神が暗示される人間が到達すべき一つの目標です。」「人間が創造するものは、人間のなかにある神聖なものを媒介としてできるのだ、ということが人間に関係のあることなのです。」等の言葉から、ベートーヴェンが自分の仕事に対して高い矜持と自信を持っていたように思います。ベッティーナはベートーヴェンとの邂逅をゲーテに知らせるのに興奮して、「ベートーヴェンと出会って、私はあなたをさえ忘れました。あの人の教養は全人類をはるかに抜きんでています。私たちは追いつくことはできるのでしょうか。疑わしいと思います。」と書いています。
 ハイリゲンシュタットの遺書では、「芸術だけが私を死から引き戻した。私が課せられていると感じるすべてのものを生み出すまで、世を去ることはできないと考えた。」と書いています。弟への手紙では、「金は重要ではない。徳だけが価値なのだ。」と諭しています。
 ベートーヴェン自身が「『パンのための仕事』をしなければならない」と書く時は、相手から要求されている仕事ができていないことへのエクスキューズとして使うのが概ねではないでしょうか。オペラを書くことや、ミサ曲を仕上げること等、お金にすぐに結びつかない仕事の合い間に、歌曲やピアノ曲等、需要が多いものに取り組まなければならない時等。もちろん、お金になるピアノ曲を作曲する時も、ベートーヴェンの深い精神を反映する芸術品になったのですが、大崎滋生氏が考察されているように、結婚資金を貯めるために意図的に大衆受けのする簡単なピアノ曲や歌曲を量産した時もあったかもしれません。
 例えば「ミサ・ソレムニス」は、ルドルフ大公の聖職就任式のためにベートーヴェンが発案しましたが、事情が許さず演奏されませんでした。しかしベートーヴェンは作曲を止めず、誰も期待せず演奏される宛てもない大ミサ曲を長い時間をかけて完成しました。それはベートーヴェン自身の精神のためだ、と本人が言っています。それでもそんなに時間と苦労をかけて生み出したものの対価を得ようといろいろと画策して、宮廷と市民団体がそれを買って、金銭的に報われたように読みました。
 長々と書き、恐縮ですが、やはりすべてが「パンのため」だった、というのは言い過ぎではないかと。さらに作品群がすべて生計闘争の結果だというのは異議を唱えたく思います。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ありがとうございます。すべておっしゃる通りです。
僕の書き方が誤解を与えたのだと思いますが、すべてが「パンのため」だったということではありません。ベートーヴェンは間違いなく自発的創造力によって、特に晩年の崇高な作品、あるいは「傑作の森」期の作品群の多くを書いたのだということは自明です。生活のために書くというより書きたいから書いたというのが実際だと思います。
しかしながら、例えば、コメントいただいている「ミサ・ソレムニス」の件についても、自身の精神のために書き上げたとはいえ、実際のところ完成後それを売り込むためにゲーテにワイマール大公への推薦状を書いてくれるようお願いしている点からすると、結果的にはそれによってお金を稼ぎたいという思いがあったことは間違いないと思うのです。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=30457

そこは天才と言えども人間。ましてや現代のように著作権などで護られている時代ではなく、あくまでパトロンからの年金だけが頼りだった時代ですから、生活は決して楽ではなかったでしょうから。ただ、その(強いて言うなら聖俗の)バランスがまたベートーヴェンの天才に拍車をかけているのだと僕は思います。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ありがとうございます。私のコメントは、後世に「楽聖」として粉飾・美化されたベートーヴェンのイメージに毒されたものと閉口されるのでは?と覚悟していたので、うれしく拝読しました。
 朝比奈隆氏の「ミサ・ソレムニス」の実演を聴かれたのは素晴らしいですね。私もいつかどこかで実演を聴いてみたいです。フルトヴェングラーもしていないですね。朝比奈氏はすごいですね。ベートーヴェン自身が自分の「最大の作品」の実演に立ち会うことがなく終わったことに切なくもなります。
 「ミサ・ソレムニス」の販売についての詳しい経緯を「ベートーヴェン像再構築」で読みました。教会も宮廷も自治体も主催しない、自分の「精神的制作物」を世に出すための、なんという奮闘。ベートーヴェンが伝手を頼って王侯貴族に出した受注依頼の口添えをゲーテにも頼んでいたのですね(当然のことかもしれませんが)。後の人間から見るとロマン・ロランのように、「ゲーテともあろう人が!?」ですね。
 「再構築」の中に「創作活動はその作品が社会に行き渡ることで完成、というのがベートーヴェンのトータルな創作活動の本質であった」ということが書かれています。「ベートーヴェンの生きた時代がまさに音楽家の生活基盤を大きく変質させる転換期であった」こともあり、作品を自分でプロデュースしたり、出版社と交渉して販売したりすることが生活を支える上で必要だったのですが、同時にベートーヴェンの時代には、音楽そのものが教会や貴族のためのものから、市民社会のものにという変質の時でもあり、フランス革命やヨーロッパ社会の民主化の大きな変革の時期にあって、その中で作曲家としての並外れた才能と、一個の人間としての熱い魂を持って生まれたベートーヴェンにしてみれば、音楽は人間の精神を体現するものであったり、世の人々に文化としてプレゼントし、後世に遺すという使命感があったのではないか、と思います。出版社に渡した楽譜の小さな書き間違いにも細かく気を使ったのはそのせいではないかと思います。
 「再構築」の中では、手紙やメモ、出版社との交渉、公文書等、そんなものが残っていたのか、と思うほどいろいろな記録がつぶさに検分され、ベートーヴェンがそんな昔の中の人ではなかったことにびっくりすると共に、自分のベートーヴェン像が伝説化されたものだったことを痛感するのですが、例えば「ミサ・ソレムニス」作曲中の合い間に書かれたピアノソナタやディアベリ変奏曲は「パンのための仕事」として片付けられていますが、青木やよひ氏の研究にある、「Op110には不滅の恋人らしいアントーニエ・ブレンターノへの想いを想像させる『我、エウリディーチェを失えり』というグルックのアリアに似た旋律が認められ、それに続く「嘆きの歌」とそれを超克せんとするフーガに、ベートーヴェンの心情が窺える」、との考察や「『ディアベリ・ワルツ』は最初つまらない旋律として興味を持たないまま放っておいたが、そのコード進行がOp110ソナタと同じことに気がつき、取り組んだ結果、大変奏曲になった」という考察があることや、「ピアノ曲はベートーヴェンは個人的な想いや心情を最も投影するものだった」という説もあるようですし、一概にピアノ曲が需要が多く、手っ取り早く金になるジャンルだったから、ということでは片づけられないと思うのです。
 作曲活動が「聖」で、販売活動が「俗」、という分け方も然りだと思います。ベートーヴェンにとってはどちらとも分かちがたいひとつの大きな仕事、使命、矜持、自己存在の証明・・・のような。しかし、ベートーヴェンにお金の苦労があったことは事実で、インフレとか親族の困窮とか・・・・
でも、名声を得、売れていた作曲家にしては、多くのお金を必要としていたのはなぜか?という疑問もあるようで、その点がわかる事実が「再構築」で明らかになればなぁ、と期待しているのですが・・・。
 長々としつこく、本当にすみません。

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