フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ブラームス 交響曲第2番(1945.1.28Live)

戦争末期の、フルトヴェングラーの亡命にまつわる鬼気迫る状況を知るにつけ、間一髪に逃れることのできた彼の運の良さと、ゲシュタポ迫る情報をリークし、スイス国境近くまで潜伏を手伝った同志(?)の協力あっての事実であることに驚嘆の念を禁じ得ない。運とはまさに過去の善根や先祖の余德という目に見えない力が働いているのだろうと痛感する(もちろん今生の人脈やシンパはあって当然だけれど)。

さて、フルトヴェングラーは2月7日に国境を越える。この当時、スイス国内でフルトヴェングラーは「ナチス」と見なされていたこともあり、当地のゲシュタポもいずれはベルリンに帰ってくると考え、積極的に出国を妨害しなかったという説もある。スイス入国に際しては、書類が不備であったため、国境を通過するのは一種の賭けであったようだ。スイス国境の係官は書類の不備を見抜いたものの、彼を通したとのことだ。
「フルトヴェングラーの国境越えをめぐる顛末」
バルバラ・フレーメル/取材・文 眞峯紀一郎・中山実「バイロイトのフルトヴェングラー バルバラ・フレーメル夫人の独白」(音楽之友社)P44

いい加減なといえば聞こえは悪いが、何事においてもアバウトな、アナログな、否、人間らしい古き良き時代だったことがうかがえるエピソードだ。

旅行とは本当にどうしたら良いかわからないですね。ホテルはすべて満室ですし。一番良いのは君たちのように家にいることですね。
政治的な条件で、いまスイスに入れるかどうか私にはまだわかりません。いずれにしても10日間で戻ります。一番良いのは、クナッパーツブッシュのようにして、そしてバイロイトに席を置くことでしょう。しかし、フォイステル家が唯一、私が滞在できるところですが、現在スペースがないでしょう。

(1945年2月5日付、バルバラ・フレーメル〈旧姓フォイステル〉宛書簡)
~同上書P46

何と国境越え2日前の極めてプライベートな手紙が残されている。
フルトヴェングラー切実な思いが言葉の背面から読み取れるようで興味深い。
亡命前ウィーンでの(あの凄まじいフランクやブラームスが楽友協会に鳴り響いた)最後のコンサートは、何とその1週間前のことだった。

・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1945.1.28Live)

第1楽章アレグロ・ノン・トロッポから音楽の仄暗い魔性と会場の不穏な雰囲気までもが感じられる実況録音に言葉がない。憂愁漂う第2楽章アダージョ・ノン・トロッポも古い録音を越えて心に迫るが、気のせいか第3楽章アレグレット・グラツィオーソの牧歌的雰囲気が消え失せ、ほとんど指揮者の焦りの投影かと思わせるほどのうねりと阿鼻叫喚、壮絶な終楽章アレグロ・コン・スピーリトに、一期一会の、水際の、恐るべき機会であったことを思う。

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