ワルター&ウィーン・フィルのモーツァルトK.466を聴いて思ふ

mozart_20_walter_vpoリヒャルト・ワーグナーは言う。
私は神とモーツァルトを、そしてベートーヴェンを信じる。
彼の「ドン・ジョヴァンニ」をみたまえ!いったいどこで音楽は、このようにきわめて豊かで、明確な個性をえたのだろうか。

講座であらためて「ドン・ジョヴァンニ」を観た。これまでもう数え切れないほど観ているにもかかわらず新たな発見があった。なるほど、「入門者講座」とはいえ、そういう「場」をもつことは僕にとっても大きい。どんな時も謙虚であれというのが僕の座右の銘のひとつであるが、音楽を聴く際にもそのことは活きる。ドンナ・エルヴィーラが影の主人公であることを確信した。

「ドン・ジョヴァンニ」が作曲されたのは1787年の4月頃から夏にかけて。同年5月に父レオポルトが亡くなっていることを考えると、心は決して穏やかでなかったろう。しかし、そういう負の状態においてモーツァルトの天才は一層飛翔する。発表するオペラはそれぞれ好評を博するも、一方で予約演奏会の不評による観客の激減。結果、経済的困窮に陥り、金の工面をお願いする手紙が頻発する。ただし、そのことは彼にとっては屁でもなかったはず。当時、創出された作品たちの異常なレベルの高さがそのことを如実に物語る。生活よりも芸術。そこにモーツァルトの本性がある。

モーツァルトは「ドン・ファン」をもって、名と作品が永遠によって記憶されるがゆえに時間によって忘れられないような少数の人びとの小さな不滅の群れに加わった。
~セーレン・キルケゴール著「あれかこれか」第1部『ドン・ジョヴァンニ論』

「ドン・ジョヴァンニ」には悪魔がいて天使がいる。主題は西洋二元論の典型でありながら、最終的にはモーツァルトの音楽そのものによって中和される。そう、調和に導かれるのだ。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(1937.5.7録音)
・セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1936.12.17録音)
・歌劇「皇帝ティートの慈悲」K.621序曲(1938.1.15録音)
・3つのドイツ舞曲K.605(1937.5.4録音)
ブルーノ・ワルター指揮(&ピアノ)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

絶頂期からどん底に突き落とされた晩年にわたる名作群をブルーノ・ワルターが演奏する。K.466などは弾き振りだ。なんとも典雅なウィーン風モーツァルトが展開される。しかも第1楽章と第3楽章のカデンツァはカール・ライネッケ。これが実に正統でありながら、ちょっとしたニュアンスに溢れており、小気味よく美しいのである。(必聴!)

ワルターの天才的ひらめきに富むピアノがやはりポイント。「アイネ・クライネ」における当時のウィーン・フィルの音色も半端でないが、この貴族的趣味の凡人を寄せ付けない水も滴る高貴さが堪らないのである。「ドイツ舞曲」なども何とも愉悦的で、ワルターの偉大さが見事に投影される。

モーツァルトの音楽には、その美と完全さ、その高貴な快活さと純粋さの中に、天使のような世界がひらけている。
~ブルーノ・ワルター

言い得て妙!!!

ちなみに、「ワルター/ウィーン・フィルの芸術」はかれこれ30年超前にアナログ復刻でまとめられ、ボックス仕様でリリースされたものだが、当時何とFM大阪の視聴者プレゼントに当選し、ゲットしたものをいまだに大事に所有している。十数年後にCD復刻盤を得たので聴くのは専らCDによるのだけれど・・・。それにしてもあの頃のことが懐かしく思い出される。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

ヴァルターは最初、ピアニストを目指していました。13歳の時、ハンス・フォン・ビューロー指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を聴き、指揮者を目指したそうです。

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