バルビローリ指揮ハレ管 エルガー 交響曲第2番(1964.4録音)ほか

河合隼雄さんと如月小春さんの「よろいを脱ごうよ」という対談に次のようなやりとりがある。

如月—人間はみな暗い部分や、やみの部分を抱えている。性の衝動も含めて自分でコントロールできないものを思春期に向けていっぱい抱え込んでいることを、今の親とか学校が受け止め切れなくなっている。中学の先生が生徒に注意してナイフで刺し殺される事件もありましたし。
河合—昔から思春期は、キレたらめちゃくちゃするという変てこな時代なんです。それをキレないように親とか地域全体で守って、ある程度のむちゃを許容しながら乗り越えるというシステムがあった。それが今は崩れているから、どこでキレるか分からない。刺された先生は災難としか言いようがないですね。

西堂行人+外岡尚美+渡辺弘+楫屋一之編「如月小春は広場だった 60人が語る如月小春」(新宿書房)P215

1999年1月に行われた対談ゆえ「今」といっても四半世紀前のことだが、当時も現在も状況はほとんど変わらない、否、かえって悪くなっているように思われる。世の中のシステムの変化もあろうが、あるいは、人間の意識が随分変わったということもあろうが、世界そのものが(秋の収穫の時期たる)「大清算」に向かって確実に進んで来ているのだと思う(理不尽な災難が増えている点を見逃せまい)。親も子どもも、誰しもが本性を拠りどころにできるようにならないと大変なことになろう(よろいを脱ぐとはそういうことだ)。

10年前もサー・エドワード・エルガーの音楽を聴いていたようだ。
懐古的な、浪漫と詩情溢れる作風でありながら、いかにもスノッブな、英国風貴族趣味の音調が垣間見える独特の音楽に、時に振り回されたく(?)なるものだ。決して晦渋とはいえないが、とはいえ交響曲などはとっつき易いものだとも言えない、ブルックナーやマーラーとはまた印象の違った長尺さを受容するのに、(ある意味)集中力がいるのかもしれない。

エルガー:
・交響曲第2番変ホ長調作品63(1910-11)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(1964.4.20-21録音)
・弦楽のためのエレジー作品58(1909)
・弦楽合奏、ハープとオルガンのための「ため息(ソスピーリ)」作品70(1914)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1966.7.14-16録音)

20分近くに及ぶ第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテは、英国らしい暗さに文字通り「高貴さ」を添えた名演奏。心地良いテンポで音楽は決然と進んで行く。

エルガーの音楽はあるとき突然わかる。とにかく繰り返し聴き続けなければわからない。コツは好きな旋律を見つけることだ。
そして、第2楽章ラルゲットの清廉な美しさ、神秘性は筆舌に尽くし難く、ここにこそエルガーの本懐があろう。闇の中に突如として差す一条の光のような、相対中の絶対美。バルビローリも泣くようだ。さらに、大自然の舞踏、弾ける第3楽章ロンド(プレスト)を経て、結論たる終楽章モデラート・エ・マエストーソの哲学的深遠さをこれほどまでに明朗な音に紡ぐバルビローリの天才、そこには師と仰ぐエルガーへの尊敬の念が込められている。

如月小春さんの追悼に坂本龍一さんが書き下ろしたエッセイ「如月さんと遭遇した」がある。
そこにはこういう文言があった。

生物はいつか死ぬ
ぼくたちの身体は宇宙の元素と同じだ
死んだら宇宙の塵にかえる
宇宙からきて宇宙にかえる
身体の一部は次の生命の糧になる
そうやって輪廻する
ぼくはそれを受けいれる

~同上書P111

坂本龍一さんの死から2ヶ月と少し。エレジーを聴きながら彼のことをふと思い出した。

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