ブリテン指揮イギリス室内管 モーツァルト 交響曲第25番K.183(1971.9.29録音)ほか

霊界の深淵へと私たちをみちびくのはモーツァルトである。恐怖が私たちを包むが、仮借を加えぬそれは、むしろ無限なるものの予感である。
(エルンスト・テオドーア・アマデウス・ホフマン)
「モーツァルト事典」(冬樹社)P175

少年モーツァルトの「疾風怒濤」の心情を刻印したト短調の交響曲。
小さな編成のオーケストラを駆使して、モーツァルトの苦悩(?)を静かに、また清澄な心でもって奏するベンジャミン・ブリテンの音楽家魂。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオからモーツァルトの音楽は(不穏な空気を振り払い)、軽やかに飛翔する。また、ゆったりとしたテンポで、心を込めて歌われる第2楽章アンダンテの憂愁。そして、第3楽章メヌエットの、舞踏とはかけ離れた(?)哀しみの吐露(トリオの木管の響きが一抹の喜びをもたらす)に終楽章アレグロが実にそっけなく、何事もなかったかのように奏でられる。ブリテンにとってモーツァルトは神ではなかった。同じく神童だったかれにとって当たり前の存在だったのだと思われる。

モーツァルト:
・交響曲第25番ト短調K.183(173dB)(1971.9.29録音)
・セレナータ・ノットゥルナニ長調K.239(1968.5録音)
エマニュエル・ハーヴィッツ(第1独奏ヴァイオリン)
レイモンド・キーンリーサイド(第2独奏ヴァイオリン)
セシル・アロノヴィッツ(ヴィオラ)
エードリアン・ビアーズ(コントラバス)
・交響曲第29番イ長調K.201(186a)(1971.2.28録音)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団

一方、ト短調の交響曲に続けて書かれたイ長調の交響曲は、ト短調の動に対し、静を前面に押し出した典雅な音調を持つ。この2つの対照的な交響曲を、ブリテンは音楽の神髄を読み切って、堂々と、そして自然体で表現するのである。
ブリテンにとってモーツァルトは神そのものだった。自作以上に共感があり、彼の作品をひもとくとき、ただならぬ愛に包まれ、音楽を奏でたようだ。ただし、そこには決して作曲家としての主観は入らない。あくまで神童の作品をひたすら丁寧に、そして謙虚に音化しようとする。第2楽章アンダンテの美しさよ。

ところで、モーツァルトは生涯に何日旅をしたのだろう?
1762年1月のミュンヘン旅行に始まり、1791年8月のプラハ旅行まで総日数は3720日のようである。35歳で亡くなった彼は生涯の3分の1を旅行に費やしていたことになる。
現代ほど旅が快適ではない時代のこと、果たしてそのことが彼の寿命に影響を与えたのかどうか。しかし、旅による環境の変化や新たな視点の獲得こそが彼の芸術に一層の深みを与えたことは間違いなかろう。作為のない、自然体のモーツァルトが美しい。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください