リヒテル ハイドン ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調ほか(1986Live)

ハイドンは後年、グリージンガーとの対話のなかで、若い頃最も熱心に学んだ作曲家としてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名を挙げている。本人が多くを語っていない以上、彼のソナタがいつ頃からどのようにハイドンの作風に影響をおよぼしたのかはさだかではない。ただ、少なくとも1760年代後半以降の楽曲において際立つ変奏の技法には、そのひとつの痕跡を認めることができるだろう。
池上健一郎著「作曲家◎人と作品 ハイドン」(音楽之友社)P208

必要必然にして「革新力」を与えられたヨーゼフ・ハイドンの軌跡。
中でもクラヴィーア・ソナタは失われたものを含め、全生涯に亘って書き綴られてきたものだ。それぞれのソナタには、モーツァルトのそれに似たようなものがあったり、あるいはベートーヴェンのそれにも影響を与えたであろう片鱗を感じさせるものがある。

比較的初期のソナタたち。ソナタ第32番ロ短調の第1楽章アレグロ・モデラートはベートーヴェンの初期ソナタのような音調だ。あるいは、第2楽章メヌエットは、モーツァルトのソナタK.333第1楽章アレグロ冒頭の主題の木霊が聴こえる。そして、疾風怒濤の終楽章プレストの、モーツァルトに優るとも劣らぬ興奮よ。
ここでのリヒテルの演奏は、一音一音を噛みしめ、確信を持った表現だ。
リヒテルはハイドンのソナタを愛する。そのことを知ってか知らずか、そこに集まった聴衆の、演奏終了後の怒涛の歓喜、拍手喝采の凄まじさが、命懸けの(?)永遠不滅の実演だったことを証明する。

中で最も素晴らしいのはソナタ第2番変ロ長調だろう。
第1楽章モデラートには、古今東西(?)あらゆる民謡、唱歌などが昇華され、歓喜の舞踊を示すよう。続く第2楽章ラルゴの悲しみはまるで葬送のようであり、終楽章メヌエットがその悲しみを引き摺る。何て深い音楽なのだろう(それももはや演奏するリヒテルの表現力の妙何だと思う)。

ハイドン:
・ピアノ・ソナタ第32番ロ短調Hob.XVI:32(1776以前)
・ピアノ・ソナタ第24番ニ短調Hob.XVI:24(1773)
・ピアノ・ソナタ第46番変イ長調Hob.XVI:46(1760s)
・ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調Hob.XVI:2(1760以前)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1986Live)

高音煌めく(あるいは地に足の着く、重みある低音が印象的な)、可憐なソナタ第24番第1楽章アレグロの憂愁。アダージョは優しく、また終楽章プレストは喜びに溢れる(ソナタのひな型はハイドンによって完成された)。そして、ソナタ第46番は、当時としては長尺の、哲学的な、深遠な内容を持つ。12分超を要する第1楽章アレグロは悠久、あるいは13分超の第2楽章アダージョは、訥々と囁く音調ながら、真に心に迫る音楽だ。もちろん終楽章プレストはハイドンの独壇場であり、ここでのリヒテルの演奏は実に開放的(愉悦的)。

侯爵のためだけに作曲すること、作品を勝手に譲渡したり筆写させたりしないこと、侯爵の許可なしに第三者のために作曲しないこと。1761年に宮廷副楽長に就任した際、ハイドンはエルテルハージ家とこのような約束を交わした。ただ、それにどれほどの実効性があったのかはさだかではない。すでに1760年代の中頃には、ハイドンの楽曲はエステルハージ家の城壁をすり抜けて、ヨーロッパ各地で知られるようになっていた。
~同上書P63

普遍的なものは、早い段階で名声を獲得するものだという証明だろう。
何にせよ、特にハイドンの前半生にまつわる事実がほとんど分からないことは残念だ。

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