アントン・ヴェーベルンの極小世界について考へる

webern_hagen_zimerman_kremer先日、いわて平泉を訪れた。世界遺産に登録されてからは初訪問。
時間の都合で毛越寺は車で徐行しながら通過、中尊寺は金色堂までぶらりと往復した。人も少なく、雪景色の寺院は何だか神々しかった。

芭蕉が「おくのほそ道」で詠んだ句碑を見つけた。

五月雨の降りのこしてや光堂

13文字に刻み込まれた、得も言われぬ風趣と、言外の「思惑」あるいは研ぎ澄まされた「感覚」を思った。同じく毛越寺にも有名な句がある。

夏草や兵どもが夢の跡

古の日本文化が誇る最小の文学作品である俳句。真理は言葉によって決して表し得ない点を考慮すると、巷に溢れる全訳注などの解釈本があくまで訳者の主観であり、そのほとんどが真意を突いていないのではないのかという疑問も湧く。

音楽芸術において、器楽的にも構成的にも肥大化した頂点にあるのがマーラーでありシェーンベルクであったが、その一方で、極力音符を減らす努力をした最初がアントン・ヴェーベルンでなかったか。20世紀初めの、今からちょうど100年ほど前のヨーロッパの中心地であった音楽の都で起こっていた出来事に思いを馳せる。

特に無調に移行してからのヴェーベルンの世界は芭蕉に通じる。実にこの短時間の内にあらゆる「感覚」が込められる。マーラーが第7交響曲で試みようとした室内楽的音響の行き着く果てはおそらくヴェーベルンの、徹底して削ぎ落とされた音世界のはずだったが、志半ばにしてこの作曲家は凶弾に斃れた。残念にも。

ヴェーベルン:
・チェロとピアノのための2つの小品(1899)
・チェロとピアノのための3つの小品作品11(1914)
・チェロ・ソナタ(1914)
クレメンス・ハーゲン(チェロ)
オレグ・マイセンベルク(ピアノ)(1994.5&6録音)
・ピアノのための楽章(1906)
・ピアノのための楽章(ロンド)(1906頃)
ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)(1995.12録音)
・ヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品7(1910)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
オレグ・マイセンベルク(ピアノ)(1994.5&6録音)
・子どものための小品(1924)
・ピアノのための小品(1925)
・ピアノのための変奏曲作品27(1935-36)
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)(1995.10録音)

ヴェーベルン16歳の作品「チェロとピアノのための2つの小品」のあまりの美しさ!19世紀的浪漫の色を残しつつ、巨大化するのを拒否するかのように音楽を短く軽くまとめあげる力量。そして、クレーメルによるわずか4分半ほどの作品7の、静と動が入り混じる詩的極小世界の驚異。さらに、2分足らずのチェロ・ソナタの「五七五」的音響の妙!!いずれも溜息が出るほどだ。
ちなみに、ツィマーマンによる1820年代と30年代のピアノ小品はもはやメロディを奏でることはなく、どちらかというとピアノの打楽器としての性質を駆使した、いわゆる現代音楽に通じる意欲作。

思考が少なくなればなるほど真実に近づくものなのか・・・。
文学も音楽も・・・、最終形は本当に「無(なくなる)」ということなのかもしれない。

 


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