ドラティ指揮ロイヤル・フィル ベートーヴェン 交響曲第1番(1976.9.20録音)ほか

ところで、嫉み深い悪魔である、私の悪しき健康状態が私の舞台に質の悪い石を投げてきました。すなわち、私の聴覚[Gehör]がここ3年来どんどん悪くなってきて、それは私の下腹部[Unterleib]によるとされ、あなたも知っているように、すでに当時から悪かったが、ここにきて絶えず下痢とそれによる異常な衰弱に苦しむほどに悪化しました。
(1801年6月29日付、ヴェーゲラー宛書簡)
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P447

ベートーヴェンの耳疾の原因とされる下腹部疾患が一体何なのかははっきりしない。
ただ、様々な研究を下敷きに推測すると、ベートーヴェンはほとんどアルコール依存症ではないかと疑われるほどワインを常飲していたこと、当時の安物のワインには甘味料として酢酸鉛が大量に使用されていたらしいこと、最終的には肝硬変が元で亡くなったことなど、長期にわたるアルコール摂取による鉛中毒が直接の原因だろうとする説が有効のようだ。

当時のベートーヴェンの苦悩は尽きず、結果的に遺書を認めるまで追い詰められるが、それもどういうわけか克服し、以後、後世に多大な影響を与えることになる多くの傑作が生み出されることになる。それにしても、そんな状況の中で革新的な作品を書き続けるベートーヴェンの天才ぶりとでもいうのか、泉の如く湧き出る創造力に舌を巻く。

20代後半から彼を悩ませる下腹部不調及び難聴の時期に書かれていた作品は、作品18の弦楽四重奏曲集であり、作品21の最初の交響曲であった。いずれもがそういった状況からは信じ難いほどの明朗さであり、第1番ハ長調は、ハイドンやモーツァルトの方法を受け継ぎ、同時に自分らしさを付加するほどの強靭な精神力の賜物である。
ちなみに、(録音当初イギリスでしかリリースされなかった)ドラティ指揮ロイヤル・フィルによる交響曲全集は、概ね速めのテンポで颯爽と音楽を自然体で奏でるもの。特に、第1番ハ長調作品21第1楽章アレグロ・モルト―アレグロ・コン・ブリオに見られる輝かんばかりの希望の光は、脱力の成果と思われる。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1976.9.20録音)
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1976.9.24&25録音)
アンタル・ドラティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

ピリオド風の澄明さと随所で魅せるアタックの斬新さ。朗々と、そして確信をもって進められる「英雄」交響曲の素晴らしさ。第1楽章アレグロ・コン・ブリオは夢と希望に溢れ、第2楽章「葬送行進曲」は、英雄を葬ることより、むしろ自らの内の魔物を滅するかのような音調を誇り、そのことを見事に音化するドラティの力量に感化される。最も素晴らしいのは終楽章アレグロであり、実に生命力に富む。

生活の安定は彼の人生が新たな段階に入ったことを示しているが、この時期は、ついに告白せざるを得なくなる難聴とさしあたって医師の指導下にひとりで悶々と闘い、同時に創作活動にも拍車が掛かる、さらには未来に向けてイタリア語付曲の修練も積む、またヴィーンの外での作品出版に乗りだし、その接触を通じてヨハン・ゼバスティアン・バッハの魂にも想いを致す、という多面的な時節である。
~同上書P469

孔子の「三十にして立つ」ではないが、この時期のベートーヴェンは文字通り八面六臂の活躍だった。負の体験が正の成果につながる奇蹟に後世の僕たちは感謝しなければならないだろう。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

このCDを聴いてみました。ドラティは戦争交響曲、1800年等のCDでしか知らなかった名前ですが、この度、リスト音楽院で作曲をコダーイに、ピアノをバルトークに教わったというすごい経歴の人だと知りました。今回、ベートーヴェン全交響曲録音のCDが世に出たのは素晴らしいですね。3番はとてもエネルギッシュで歯に衣着せぬ率直さを感じました。他の交響曲も聴いてみたいと思います。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ドラティ指揮ロイヤル・フィルのベートーヴェンはオーソドックスと言えばオーソドックスです。意外に颯爽としたテンポでとても聴きやすいと思います。

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