スーク パネンカ ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第7番(1967.9&10録音)ほか

ほとんど十分ではないか、ならば私は自ら私の人生を終わらせよう。—それだけが、芸術が、それが私を引き戻した、ああ、私が課せられていると感じるすべてのものを生み出すまで、それ以前に世を去ることは私にはできないと考えた。そして私はこの哀れな人生を、続けた、—本当に哀れにも、ほんの少しの急な変化が私を最上の状態から最悪な状態へと移し換えることもあるような感じやすい肉体を、だ。
(1802年10月6日)
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P503

遺書に秘められる崇高なる創造の決意。

ハイリゲンシュタット滞在中に集中的に書かれた3つのヴァイオリン・ソナタ作品30は、1803年、ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されている。この、例によって性格の異なる3つのソナタは、当時のベートーヴェンの精神の充実の様子を示すもののようにも思われるが、実際のところは「遺書」にもあるように、公にすることさえ憚られる苦悩の中にあり、しかし、だからこそ表現によって自身の心(魂)を解放することができたのではなかろうかとも想像される佳作揃いである。
特に、第7番ハ短調作品30-2の充実度!!
第1楽章アレグロ・コン・ブリオにみる開かれた希望、そして、第2楽章アダージョ・カンタービレの平和の希求、あるいは安らぎ(耳疾の悪化をものともせず)。短い第3楽章スケルツォ(アレグロ)は、いかにも喜び溢れる楽聖の心の表明であり、また、終楽章アレグロは、一条の光を見出したベートーヴェンの生きる道標の如し。

ヨゼフ・スークの遠慮のない(?)、ベートーヴェンの挑戦的な魂を表現せんとする堂々たる演奏が、地味ながら美しい。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2(1967.9.4&10.4録音)
・ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3(1966.10.31, 11.1-3録音)
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヤン・パネンカ(ピアノ)

一方、第8番ト長調作品30-3の優美をいかにも土臭く表現するスークの土俗性(?)。ここでは、ヤン・パネンカのピアノが縦横に活躍し、スークのヴァイオリンと一体となって、ベートーヴェンの深層を抉る(明朗な音調の内に潜む悲哀の感!)。第2楽章テンポ・ディ・メヌエット,マ・モルト・モデラート・エ・グラツィオーソがことのほか清楚かつ歌謡的。スークの輪郭のはっきりした明朗な音が、音楽の美しさを一層研ぎ澄ます。そして、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの自然と心を一にする快感。

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