ワルター指揮コロンビア響 モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525ほか(1954.12録音)

同様の演目が収録されたステレオのモーツァルト作品集を耳にするまで、僕はしばしば「ミラベルの庭園にて」と題する1枚のレコードにしばしば耳を傾けた。それは、アメリカに渡ったブルーノ・ワルターが、生誕200年に向けて得意のモーツァルトの管弦楽曲を録音した貴重な音盤だ。ウィーン・フィルとの典雅な印象の演奏とは異なり、また後の、重みと深みを呈しながら見通しの良い、最美の演奏とも違い、いかにもアメリカのオーケストラという明朗で劇的な音調が支配するモーツァルト。
それはたぶん、その年の初めに引退を発表した盟友アルトゥーロ・トスカニーニの方法にインスパイアされた(?)、ワルターにとって特別なモーツァルトだったのだろうと思う。

ご誕生日を好機といたしまして、多年あなたにたいし抱いております深き愛着と敬慕の念を申し述べます。思い出しまするに、ミラノで初めてお出会いしたときのことは、今も鮮やかに残っておりますし、ライプツィヒやベルリン、ザルツブルクやウィーンでのご演奏、もちろんニューヨークでの忘れがたい数々は、私の耳から離れませず、どれほど感謝申し上げておりますことか。これこそすばらしい思い出で、私の生きてあるかぎり、生き続けるものとご承知くださいますように。
わが友よ、ご健康を祈ります―そっくりご自分の芸術と理想に捧げられた長い生涯を、朗らかな満足の念で回顧せられんことを。
まずはご祝詞のみ申し上げます。

(1955年3月21日付、アルトゥーロ・トスカニーニ宛)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P331

ブルーノ・ワルターの慈愛の心が垣間見える書簡に涙がこぼれる。
この手紙を受け取った老トスカニーニはさぞかし嬉しかったのではなかろうか。

モーツァルト:ミラベルの庭園にて
・セレナーデ第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
・メヌエットヘ長調K.599
・メヌエットハ長調K.568
・3つのドイツ舞曲K.605
・フリーメースンのための葬送音楽K.477
・歌劇「魔笛」K.620~序曲
・歌劇「フィガロの結婚」K.492~序曲
・歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588~序曲
・歌劇「劇場支配人」K.486~序曲
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1954.12.28&30録音)

「魔笛」序曲はスピード感のある、凄絶なエネルギーを孕むもの。これぞトスカニーニの衣鉢を継ぐ、燃えるモーツァルト。「フィガロの結婚」序曲も、モーツァルトの思念を超えるほどのパッションたぎる演奏だ(まるでトスカニーニのモーツァルトにある慟哭よ)。
また、「コジ・ファン・トゥッテ」序曲における前のめりの勢いは、ワルターの内なる喜びの顕現であり、さらに、激しい「癖場支配人」序曲は、ワルターのモーツァルトへの情熱弾ける名演奏。それにしてもブルーノ・ワルターの十八番「フリーメースンのための葬送音楽」の相変わらずの美しさと哀惜。

晩年を合衆国西海岸で過ごすワルターは、愛するモーツァルトの音楽を前に何を思ったか?
愉悦のモーツァルト、躍るモーツァルト、そして劇的なモーツァルト。しかし、それよりも何よりもここには欧州への惜別の念、憧憬が隠されているのでは?
何と哀しきモーツァルト。

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