ハイドシェック フォーレ 夜想曲全集(1960.11&1962.10録音)

コルトーは、作品のキャラクターとテンポ、そして色彩を理解することがとても重要だと言っていました。これらが頭に染みこんだなら、その作品はすぐに自分の手のうちに入ってくると。
ただし、そのイメージが頭から手へ一瞬のうちに伝達されるようになるには、長い年月がかかります。私も若いころは、イメージをどう指に伝えたらいいのかがわかりませんでした。その感覚の理解はある日突然やってきます。私にとっては、それは夏の日のパリ、休暇中に急な演奏会のリクエストを受けたときに訪れました。ステージに立った瞬間、色彩とともに遠い昔に演奏した音楽が頭の中によみがえって、すらすらと弾くことができたのです。

ピアノ音楽誌「ショパン」2009年7月号(ショパン)P9

すべては地道な鍛錬と継続によって突然開かれるのである。
エリック・ハイドシェックの言葉が何気なく真理を説くようで、神々しい。
ちなみに、常に進化、深化するハイドシェックのエネルギーの源泉は、「学ぶこと」だそうだ。

学ぶことです。それは私にとっては、まるで新しいビタミンのようなものなんです。レパートリーを変えるのが好きなので、いつも新しい作品を勉強しています。過去の作品に捕われてしまっていたら、アーティストはずっと前に進めなくなってしまう。
生きていくには、常にどこかからエネルギーを感じていなくてはいけないからね! これが私の生き方なんです。

~同上誌P9

御意!!
若き日の(20代!!)ハイドシェックが録音したガブリエル・フォーレ。その甘く、優しい音色に僕はいつもノックアウトされる。これぞコルトーの言う、作品の性格と色彩を理解した演奏の最右翼ではなかろうか。

フォーレ:
・夜想曲第1番変ホ短調作品33-1(1875)
・夜想曲第2番ロ長調作品33-2(1880)
・夜想曲第3番変イ長調作品33-3(1882)
・夜想曲第4番変ホ長調作品36(1884)
・夜想曲第5番変ロ長調作品37(1884)
・夜想曲第6番変ニ長調作品63(1894)
・夜想曲第7番嬰ハ短調作品74(1898)
・夜想曲第8番変ニ長調作品84-8(1906)
・夜想曲第9番ロ短調作品97(1908)
・夜想曲第10番ホ短調作品99(1908)
・夜想曲第11番嬰ヘ短調作品104-1(1913)
・夜想曲第12番ホ短調作品107(1915)
・夜想曲第13番ロ短調作品119(1921)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)(1960.11.21-23&1962.10.15-18録音)

年を経るにつれ、フォーレの作風はとても私的な印象の、孤独な様相を示すものに変化していくように僕は感じるのだが、それは、彼がベートーヴェンと同じく発症した難聴からの耳疾によるものかどうなのか。否、そうであるに違いない。

ガブリエル・フォーレが、亡くなる2日前(1924年11月2日)に2人の息子に残した言葉はこうだ。

私がこの世を去ったら、私の作品が言わんとすることに耳を傾けて欲しい。結局、それがすべてだったのだ・・・。恐らく時間が解決してくれるだろう・・・。心を悩ましたり、深く悲しんだりしてはいけない。それは、サン=サーンスや他の人びとにも訪れた運命なのだから・・・。忘れられる時は必ず来る・・・。そのようなことは取るに足りないことなのだ。私は出来る限りのことをした・・・後は神の思し召しに従うまで・・・。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」(新評論)P245

諦念と言えば、確かにそうかもしれない。忘れられる時が必ず来ると彼は言うけれど、100年近くが経過した今も、僕たちはフォーレのことを忘れていない。彼は人生を全うした。間違いなく決めてきた自分の役割を全うしたのだと思う。

弔いの鐘の如くの第7番嬰ハ短調作品74の響きこそ、ハイドシェックのピアノの真骨頂。そして、世界が開かれた後の、第11番嬰へ短調作品104-1に存する静けさは、ピアニストの心の静けさと同期するようだ。極めつけはやはり最後のピアノ曲となる第13番ロ短調作品119にある老練の愉悦(生きる喜び)。何という純真!何という孤独!また、何という静かな慟哭!
名盤だ。

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