ヤルヴィのラフマニノフ「けちな騎士」を聴いて思ふ

rachmaninov_aleko_jarvi人間の内面にある「負」の側面に焦点が当てられたロシア歌劇。
この世界観はショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、あるいは「カテリーナ・イズマイロヴァ」に継承されてゆくものだと思うのだが、20世紀の初頭に、プーシキンの原作に若きラフマニノフが、いかにもラフマニノフらしい、ラフマニノフにしか書けない暗鬱な音調の舞台作品に仕上げているところがミソ。女声が登場しなければ、合唱すらない、そんなオペラが上演される機会は極めて少ないだろうからなかなか本番舞台に接する機会に当たることは難しいが、1時間ほどの1幕もののオペラゆえ、とにかくとっつきやすい。しかも、暗澹たる印象の物語で、音楽ももちろん暗い雰囲気に終始するが、そこはラフマニノフの天才。メロディアスな美しい旋律あり、広大な大地を思わすロシア的律動あり、と実に聴きどころは満載。序奏からすでにラフマニノフ音楽の虜に・・・。

それにしてもこの物語の軸が「お金」であることは実に興味深い。農奴解放を経て、近代国家として前進あるのみだったロシア帝国の、実に内側に抱え込まれた矛盾を抉り出すかのように、あえて前世紀の文学作品を原作に自ら筆を執ってオペラ化するという決断。それが貴族家系出身であるラフマニノフの手から生み出されるという面白さ。ロマノフ王朝末期の、現代の異国の我々からは想像もできないような実情があの時代のあの国にはあったのだろうか。とはいえこれは、物語と同様に、父親の浪費癖、散財に悩まされた作曲者自身の心の内を暴露した私小説のようなもの。ラフマニノフ自身が父親に秘めていただろう憎悪は男爵の死という結末として表現される。何というカタルシス。

ラフマニノフの神経衰弱は、もちろん本人の幼少期の体験や環境からの影響が大なのだが、このように音楽作品をひとつひとつ創出していくことで解決されていったのか(第1交響曲の失敗ですら全体観で見ると必要だったことになる)。いずれにせよ、ラフマニノフの作品をひとつひとつ追って熱心に試聴してゆくことは真に興味深い。

第2場の男爵のモノローグこそこのオペラの肝。
ラフマニノフはこの部分をシャリアピンの声を想定して書いたらしいが、結局この長大なモノローグをシャリアピンが記憶できず、配役は変更になったのだとか。
ネーメ・ヤルヴィの録音は少々ソフィスティケートされ過ぎたきらいもあるが、ラフマニノフの音楽を楽しむという意味では十分。

ラフマニノフ:歌劇「けちな騎士」作品24
セルゲイ・アレクサシュキン(男爵)
セルゲイ・ラリン(アルベルト)
ウラディーミル・チェルノフ(騎士)
イアン・カレイ(金貸し)
アナトーリ・コチェルガ(召使い)
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団(1996.8録音)

確かに男爵のモノローグはもう少し壮絶で、不気味な雰囲気を醸し出す方がそれらしいと思うのだけれど・・・。これはヤルヴィの音楽作りのせいなのだろうが、やっぱりラフマニノフの音楽そのものが「甘い(スウィート)」なのである、どこか・・・。

 


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