モントゥー指揮サンフランシスコ響 ベルリオーズ 幻想交響曲(1950.2.27録音)

実に情熱的で、冒頭から激震が走る。
ベルリオーズの想念が、エロスが、ほとんど乗り移ったかのような激烈さ。
モノラル録音ながら(否、モノラル録音が故か?)後年の2つの録音を凌駕するだけのエネルギーに溢れる名演奏。この時期、さぞかし指揮者は心身ともに充実していたことだろう。

第1楽章「情熱、夢」の、溢れんばかりの恋の官能が聴く者の心を劈く。聴いていて、居ても立ってもいられないほどのスピード感と呪縛からの解放感。あるいは、第2楽章「舞踏会」の熱波の如くの戯れ。第3楽章「野の風景」では、大自然に癒されるかと思いきや鬱積した心情がますます募り、悶えるかの如く内燃する様を描くよう(コーダのコーラングレの牧歌と雷鳴を表すティンパニのロールが何とも生々しく素敵)。

私の恋は熱病のようだ しかもその病気が
さらに長びくことさえ憧れている病気だ
その病気を養うものを食い
なにか気まぐれで病的な貪欲を満たしている

私の理性は この病をなおす医師だが
処方が守られぬことに怒り 私を見捨てた
私は半狂乱になり 薬を拒む欲望は
死であると この身に思い知らされた

私は理性にも見放され なおる見込みもない
ますます不安にさいなまれ 狂気の沙汰だ
考えることも言うことも 狂人と同じ
しどろもどろで まったくのあてずっぽう

 地獄のように黒く 夜のように暗いお前を
 私は美しいと誓い 輝くばかりと思ったのだから

ソネット第147番「熱病」(関口篤訳)
関口篤訳編「シェイクスピア詩集」(思潮社)P57

ウィリアム・シェイクスピアのソネットを思った。

・ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団(1950.2.27録音)

それにしても音楽に一切の弛緩がない。この手の大仰な音楽は下手をすれば途中で聴き手の集中力を欠いてしまう凡演になりがちだが、幾度も繰り返し聴いていたいと思わせる演奏に舌を巻く。

第4楽章「断頭台の行進」、続く終楽章「魔女の夜宴の夢(ワルプルギスの夜の夢)」の(まるで自身の内にベルリオーズの妄念が同期し、弾けるかのような)推進力と音楽のうねりに感動。

ピエール・モントゥーが消防士に生涯を通じて憧れていたのも、けっして奇抜な着想とか、世間の注目を集めたいとか、愉快な帽子で着飾りたいとか、そんな願望ではなかった。彼の演奏の持つ人間味に、それは—どれほどわずかだろうと—寄与していた。
音楽以外のことにまったく興味のない音楽家は、完全な音楽家ではない。

ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P237

カルショーの回想が興味深い。

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