アンサンブル・フェリシア バロック(2020)

旧暦8月1日。コロナ(5,6,7)を超え、否、コロナとともに、本日から世界の空気は一変するという。この新月のパワーが、争いのない、世界の平和に向けて届くよう祈る。

先般、前田朋子さんから新しい音盤を贈っていただいた。
幾度か耳にして思うのは、いわゆるバロック期の音楽から醸される敬虔な思念と、それを見事に明朗に奏でるアンサンブル・フェリシアの一体感。文字通り幸福感溢れる音楽が、今日の気に相応しい。

誰もが私利私欲を求め、自分の心身の健康のことなど構ってくれない―寝室に戻った女王は一晩中泣き明かし、あと2日間は閣議に出席したが、7月29日には再び不調を訴えて閣議を中止し、30日に激しい痙攣を起こし、意識不明となった。
山田由美子著「原初バブルと《メサイア》伝説―ヘンデルと幻の黄金時代」(世界思想社)P74

わずか49歳で世を去った病弱のイギリス女王アンの苦悩に満ちた生涯は、その最期まで決して明るくはなかった。アーバスノットのスウィフトへの手紙には次のような報告がある。

浅見からしても女王の寿命は先がないように思われましたが、その限られたわずかな日々の大部分が、臣下同士の争いの最後の修羅場のために切り取られてしまったのです。疲れた旅人が眠りを求める以上に、女王は死を求められたのでしょう。
~同上書P75

ヘンデルの、アン女王の誕生日への頌歌のからの1曲から始まるアルバムの神々しさ、あるいは美しさ。そして、ドイツ・アリアからの3曲は、いずれもが生の希望と喜びを問うもので、日野妙果の歌はもちろんのこと、前田朋子のヴァイオリンも山口友由実のハープシコードも、愉悦に弾け、この世の官能を飾ることなく表現する。聴いていて、心が弾む。
あるいは、朗々と歌われるヘンデルのソナタの憂愁。低音部に感じられる切なさと、高音部に垣間見える憧憬と。第1楽章アフェトゥオーソに思わず心動き、快活な第2楽章アレグロに勇気をいただく。また、第3楽章ラルゲットは、終楽章アレグロと併せ、音楽をするヘンデルの魂の発露であり、ハープシコードの伴奏との見事な対話があまりに美しい。

アンサンブル・フェリシア バロック
ヘンデル:
・アン女王の誕生日のためのオードHWV74~「神々しい光の永遠なる源よ」
・9つのドイツ・アリアHWV202-210
―第7番「汝ら暗い墓より」HWV208
―第4番「心地よい静けさ、やさしき泉よ」HWV205
―第6番「私の心は眼差しの中に聞く」HWV207
・ヴァイオリン・ソナタニ長調HWV371
ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・ミサ曲ロ短調BWV232~ラウダムス・テ/我らの主を誉め」
・アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖
―メヌエット第7番BWV Anh.116
―メヌエット第5番BWV Anh.115
―ミュゼット第22番BWV Anh.126
―「御身が傍らにおわすならば」BWV508
―アリア(ゴルトベルク変奏曲BWV988)
ヴィヴァルディ:
・グロリアRV589~神なる主
テレマン:
・ダヴィデ詩篇121~「目を上げて、私は山々を仰ぐ」
ヨハン・セバスティアン・バッハ/グノー:
・アヴェ・マリア
アンサンブル・フェリシア
日野妙果(ソプラノ)
前田朋子(ヴァイオリン)
山口友由実(ハープシコード)

続くバッハの「ラウダムス・テ」を聴いて思うのは、不思議に明のヘンデルに対し、暗のバッハが際立つということ。遠心的なヘンデルに対して求心的なバッハと言い換えても良い。その意味で、アンサンブル・フェリシアの3人の心がより一つになり、求心的な音楽を響かせる。

さらに、ヴィヴァルディの「神なる主」をひもとけば、僧職者アントニオ・ヴィヴァルディの聖なる信仰の念が隅々まで刻印されており、ここでの日野妙果の歌唱は、何だかとても大らかで、天にすべてを委ねていて、心地良い。もちろん、テレマンでの、前田朋子のヴァイオリンのすべてを解き放つ豊かな音調に、僕の、世界の平和への祈りが同期する。

私の助けは来る、
天地を造られた主のもとから。
主はあなたの足がよろめかないようにし、
眠ってしまわぬよう見守って下さる。

(ダヴィデ詩篇121)

最後は、何とも高貴な「アヴェ・マリア」。可憐なハープシコード前奏に、色香豊かなヴァイオリンがかの主題を奏でたときの恍惚、そして後半、ソプラノ独唱との3つ巴に、永遠の愛を想う。

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