岩城宏之指揮アンサンブル金沢の湯浅譲二ピアノ・コンチェルティーノほか(1994録音)を聴いて思ふ

同時代の音楽に共鳴できる心が大切だと思う。
ひたすら連綿と紡がれる音の漣に耳を傾けることだと思う。
理解しようと思うなかれ。ただ感じるのみ。

湯浅譲二さんのピアノ・コンチェルティーノを聴きながら、これほどに音の粒の充実した音楽は、聴く者の感性を見事に刺激するものだと痛感した。おそらく実演だと、その強力な叫びと静けさに満ちる囁きに熱狂し、同時に首を垂れるのだろう。

曲は導入とコーダの他に5つの部分からなる1楽章形式をとっている。導入部後の前半では、意識的にショパネスクな音のジェスチュアとともに、ショパンへのオマージュと憧憬を書いたつもりだが、音素材には、12音の2オクターヴにわたるモードが用いられている。その時オーケストラは、バッハ的な意味で、構造的な運動によって抽象的音楽を軌跡として描くが、それとともにピアノは、むしろもうひとつの音宇宙を、並立、平行した形でありながら共存してゆく。つまり、音程的、音響的には、ピアノとオーケストラが同化しない、遠い関係の中にありながら、しかも融合していくという世界を作りだしている。
PROC-1947/50ライナーノーツ

作曲者自身の解説は、この作品を理解する上で重要なもの。
わずか15分に満たない小さな協奏曲の内側に垣間見る、ワーグナー様の恍惚の歌と、作曲者はショパネスクというが、どちらかというとストラヴィンスキーかシェーンベルクかといわんばかりのピアノの打楽器的音響の融け合いに、僕は一聴感応した。

21世紀へのメッセージVol.2
・藤家渓子:思いだす ひとびとのしぐさを―室内オーケストラのための(1994)
・湯浅譲二:ピアノ・コンチェルティーノ(1994)
・田中カレン:ウェーヴ・メカニクス―20人の奏者のための(1994)
・猿谷紀郎:透空の蔦(1994)
木村かをり(ピアノ)
岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(1994.8&10録音)

また、田中カレンさんの「ウェーヴ・メカニクス」にみる金属的響きは、聴く者を不思議に過去の世界に引きずり込むよう。
作曲者は書く。

「ウェーヴ・メカニクス」は、本来、物理学用語で、そこで意味する波は数学上のもので実際には存在せず、高次元の超空間でのみ想像されうる。この作品では、「ウェーヴ・メカニクス」の概念が隠喩的に扱われている。
~同上ライナーノーツ

実際に存在しないものを隠喩的に扱った点が何より素晴らしい。これこそ類い稀な想像力がなせる技であり、聴く者に相応の緊張感を強いる劇性に満ちている。
さらに、猿谷紀郎さんの「透空の蔦」での、宇宙的拡がりの恐るべき描写!!
同じく、作曲者の言葉。

昨年(1994年)木星に彗星SL9が衝突しました。ガス体であると信じられていた木星の表面が、この強烈な衝突の激変により、ちょうどプラスティックに微細な記録が印字されるように、その衝突の微細な部分まで衝撃波形の軌跡が記録されたというのです。私はこの事実に対して興奮しました。というのは、この宇宙に無数に存在する音が常に離合集散を繰り返し、その軌跡が何らかの形で記録されるのならば、音の行く末もひょっとすると理解できるかもしれないと考えていたからです。音がある空間を飛び交い射影し、その軌跡が音楽として別な秩序により成り立っていくだろうという想像は、今度の木星とSL9との衝突の現実と象徴的に重なり合ったわけです。
~同上ライナーノーツ

複雑に重なり合う音と音は、まさに付いては離れ、離れては付き、不完全な軌跡を見事に記録する。暗黒の世界に引きずり込まれるような強い磁力に、僕はある種恐怖を覚えるほど。
音が現れ、消え、また、消えては現れる・・・。音楽は宇宙と相似であり、であるならそれはどんな形態であれ、美しい。

 

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2 COMMENTS

岡本 浩和

>雅之様

僕は正直あまり詳しくないのですが、湯浅さんの作品というのは不思議な色気があってすばらしいですよね。

ちなみに、「おかえり、はやぶさ」は観ておりませんが、冨田勲のサウンドトラックなら素晴らしそうですね。
ありがとうございます。

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