
あまりに外面的に過ぎ、フランツ・リストの音楽を、長い間、僕は受け入れることができなかった。この自己顕示欲というのはどれほどのものなのだろう?
玉石分班といわれる今、キリスト教終末思想「怒りの日」を主題にし、5つの変奏を組み上げた、超絶技巧を要するリストの大作「死の舞踏」。つまらぬ曲だが、ことクリスティアン・ツィマーマンが演奏すると、一気に様相が変わる。否、外面ではなく、むしろ内から湧き出る光のエネルギーの完全さ。
フランツ・リストが1839年、イタリアのピサを訪問し、そこで目にしたフレスコ画「死の勝利」にインスピレーションを得たものだそうだ。
マリー・ダグーの日記。
ピサで5日間。ボッチェラが私たちの友人になる。
~マリー・ダグー著/近藤朱蔵訳「巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記」(青山ライフ出版)P241
ヴィユー(リストの綽名)が一人だけでコンサートをする。月明かりのカンポ・サント(建設されかけて放棄された街)。
~同上書P242
二人の愛情の行方を危惧するのか、マリー・ダグーの思念は、どこか空虚でネガティブだ。
一方のリストは、単独リサイタルを創始し、自らの技術を鼓舞する。破壊こそが喜びのすべてだと言わんばかりに。
意外にも、この音盤でならピアノ協奏曲も最後まで難なく聴ける。楽想が豊かに、より魅力的に響くのである。それには伴奏を務める小澤征爾指揮ボストン響の、がっちりと音楽を掴む構成力の影響もあろう、中でツィマーマンが自由闊達に動く様が素晴らしい。
それにしても「死の舞踏」の凄さに唖然。